元格闘家、古木はもう野球をあきらめたのか トライアウト2年連続挑戦した古木は今……?

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古木は愛知県豊田大谷高校2年のときに甲子園出場し、2打席連続ホームランを打つなどで注目された。翌1998年夏の甲子園にも出場。松坂大輔を擁する横浜高校が春夏連覇を成し遂げたこの大会でも、古木はホームランを1本放ち、ベスト4進出の原動力となった。そして、秋のドラフト会議で松坂大輔のはずれ1位として横浜ベイスターズ(当時)に指名され入団する。

入団4年目の2003年、1軍に定着し、ホームラン22本を放って持ち前の長打力を花開かせ、4番を務めることもあった。一方で、打率は.208と低く、翌年以降はレギュラーを獲得することができずに、2007年、オリックス・バファローズにトレードされた。結局、オリックスでは2年在籍したが、1軍で活躍することはできず、2009年10月、戦力外通告を受けた。

その2カ月後、古木の決断が、マスコミをにぎわせた。なんと、格闘家への転進が発表されたのである。

そして、翌年の2010年大晦日の格闘技イベント・ダイナマイトでは、ボビー・オロゴンの弟、アンディ・オロゴンと戦うためにリングに上がる。すでに格闘技選手として多くの経験を持つアンディと、これがデビュー戦古木との実力差は明らかだった。

古木が味わった、不思議な感覚

しかし、古木は、気持ちだけは負けていなかった。「野球でダメだから、格闘技にきた――」古木はそう言われ続けてきた。もし、ぶさまな戦いをすれば、「負けても、違う道を探すんだろ」、そんなそしりを受けかねなかった。アンディのパンチを浴び続けたが、古木は前に出ることをやめなかった。

試合は、0-3の判定負けを喫したが、その鬼気迫る戦いぶりは、大きな印象を残した。

その4カ月後の試合で、古木は初勝利を収める。古木の格闘家としての未来が少しずつ開けてきたように見えた。しかし実際は、古木の心の中にある別の思いが生まれていた。

やはり、野球がやりたい……。

そんなとき、古木は埼玉西武ライオンズのバッティングコーチだった大久保博元と出会う。そして彼の主宰する野球アカデミーで、久しぶりにバットを振ってみると、古木は不思議な感覚を味わった。バットがすごく軽く感じたのだ。

格闘技の過酷なトレーニングが古木の体に、現役のとき以上の筋肉の鎧をまとわせることになったのだ。そのパワーから生まれたバットスイングは、プロのコーチだった大久保をも驚かせた。「もう一度プロ野球選手でやれるんじゃないか」。そんな言葉が大久保の口から出た。

プロ野球界への復帰を目指すトレーニングが始まった。

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