2010年にロコ・ソラーレを立ち上げたのも、やはり4年に1度カーリングを続けるかやめるかの選択を迫られる現状を変えたかった、という理由があります。その受け皿にロコがなれればと。チーム編成を考えると、通常はチームの中にいて休むのは難しいんですね。
でも結婚や出産で休んでもまた戻ってこられる箱がないと選手生命が延びないし、いい選手も育たない。だからロコはいったんお休みOKです。もしも五輪や世界選手権を前に選手がケガをしてしまったら、ロコのスタッフとしてチームと一緒に頑張る選択ができます。
「4年に1度五輪だけ」のチームにならないように
──プレーと違い、新しい組織を立ち上げるという未経験の仕事は、大変ではありませんでしたか?
所属選手はゼロ、スポンサーさんもゼロ、本当にゼロからのスタートでした。ロコ・ソラーレはローカル(地元)とイタリア語の太陽を組み合わせたチーム名。目指すのは“密なコミュニケーションを武器にした、地元に愛されるチーム”です。スポンサー探しを続ける中で、その信念に共鳴してくれた最初の方が地元のお医者様でした。
こっちは都会よりも人と人との距離が近く、ざっくばらんに話ができる。先生は「地域に根付くんだったら応援するけど、4年に1度の五輪だけを目指すんだったら支援しない」と断言された。チームを一緒につくりあげてくれた最初のスポンサーさんは何があっても裏切れないし、頑張る背中をずっと見ていてほしいです。
──その後、2014年のソチは出場を逃しましたが、次の平昌では見事銅メダルに輝きました。
ソチは間に合わなかったですよね。もちろん悔しいことは悔しかったんですけど、五輪に行くチームはそれ相応の準備と努力をし、成果を残してるチームなので、「次だな」という気持ちでソチは見ていました。
平昌ではフィフス(補欠)としてコーチボックスに入りました。試合には出たかったけど、五輪には私はもう2回出ていて、パッと後ろを振り返ったとき、後輩たちが五輪という場で感じるものを奪ってもいけないな、という感情が湧いてきた。フィフスの仕事の1つに、チームの内側から「いつでも代わりに出られるぞ」と良質のプレッシャーをかけることがあります。
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