出発前の空港では誰にも気づかれない、誰にも知られない存在だったのが、帰国して空港のゲートを出ると「カーリング面白かったよー」「マリリ〜ン」という声援が飛んできた。日本勢で唯一金メダルを取ったフィギュアスケートの荒川静香さんはともかく、7位に終わった私たちまで記者会見が開かれたり。何が起こってるんだ?と環境の激変にうまく適応できず、すごく戸惑いました。
その後、地元に戻ってリスタートを切ったときに、恩師から「誰かのためにカーリングをするのじゃなく、自分が生きたいように歩みなさい」と言われ、ハッとしました。それまで私は、コーチや恩師が敷いてくれたレールを、ただまっすぐ歩いてきた。でも、バンクーバー大会が終わったあたりからそのレールがなくなり、これからはどっちの方向に進むか、自分で考えるところから始めなきゃいけないんだな、と思いました。そのあたりから変なプライドもなくなった。今は、私は私でしかない、イメージは人が決めればいいと思っています。
「人生の中にカーリングがある」という衝撃
──実際にバンクーバー後はどう歩まれたのですか?
一度地元の常呂町に戻ろうという案はありました。ただ、チーム青森は日本代表チームだったので、そこにいれば何のストレスも問題もなく、カーリングができる。なので残ってプレーするほうがスマートな選択ともいえました。
一方で、トリノ、バンクーバーを通して、私のカーリング人生を左右する大きな出会いがありました。両大会で金メダルを獲得したスウェーデン代表チームです。まったく同じメンバーでの連覇自体が偉業だけど、驚いたのはトリノでは既婚者が1人だけだったのが、バンクーバーでは5人全員がママになって戻ってきたことです。4年の間に全員ママになっていたということは、休んでいた期間があったということですよね。彼女たちが休んでいた間、圧倒的に多い時間と練習量を重ねた私たちが、彼女たちに全然かなわなかった。
彼女たちはチームで五輪を楽しんでいました。選手村ではとてもリラックスしているけど、試合では好ショットを次々決め、終了後はスタンドの家族とハグを交わす。競技も、恋愛、出産といった女性としての人生も、どちらも真剣に追うからどちらにも好影響を与える。
カーリングが人生なのではなく、人生の中にカーリングがある。そんな彼女たちにチームづくりを学びつつ、勝つためだけのカーリングではない、自分の人生を豊かにするカーリングをやってみたいな、という気持ちが募っていきました。
──スウェーデンチームのあり方に、感銘を受けたんですね。
とにかくメリハリをつけるのが上手。自分たちが心底カーリングを楽しむスタイルですね。従来の日本の選手だと、自分の人生を4年区切りで五輪に捧げるみたいな部分があったと思うんです。でも彼女たちは、女性としての自分の人生に強弱をつけ、コントロールしている。純粋にカッコイイなと思いました。女性として、アスリートとして、1つのモデルですよね。しかも実際に結果を残している。私もそんなふうに、スポーツに人生を捧げるのではなく、自分の人生ありきでスポーツをやりたい、というあこがれを持ちました。
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