幼少期に「冴えない子」の意外に明るい未来 「子育ての成果」を焦る親たちに伝えたい事実

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その後は、玩具という大好きな分野を伸ばして、コレクターとして世界的に有名になりました。また、おもちゃ博物館の館長でもあり社長でもあります。こういう話を読むと先生の一言も大きいと感じます。また、彼の母親もどんなときも見捨てることなく、常に温かい言葉でほめてくれたそうで、これも非常に大きなことだったと思います。

漫画家の水木しげるは幼少期にパッとしなくて、両親が尋常小学校入学を1年遅らせたくらいです。尋常小学校に入学してからも体育と図画以外は全然できなくて、中でも算数は苦手でした。学校を出て仕事に就いてもマイペースな性格で勤まりませんでした。

その後、絵の道に進むと決めて入った精華美術学院も辞めてしまい、次に受験した東京美術学校では50人募集の試験で51人が受験して彼だけが落ちました。次にやっと合格できた日本鉱業学校も成績が悪くて半年で退学させられました。

本田技研工業の創業者・本田宗一郎は、子どもの頃勉強ができませんでした。当然成績も悪かったので成績表を親に見せませんでした。そして、家の印鑑を自分で作って捺印し、あたかも親に見せたように装って学校に出していました。

女優でタレントの黒柳徹子さんは、幼少期に問題児扱いされて、尋常小学校を1年生のときに退学させられました。その後、一人ひとりの違いを尊重してくれるトモエ学園に入学することで、自由で伸び伸びした生活の中で自分を取り戻すことができました。その顛末は『窓ぎわのトットちゃん』に詳しく書かれています。成長してからの大活躍は、みなさん、よくご存じのとおりです。

分数の足し算を中3で覚えた彼の今は…?

こういった著名人だけでなく、私の同級生でも大器晩成の人はいます。中学2年生と3年生の時に同じクラスだったY君は、勉強が苦手でした。特に算数・数学はまったくわからず、中学3年生の時に分数の足し算が全然できなかったそうです。

ある日、担任で数学の先生だったS先生がリンゴを持ってきて、Y君の目の前で切りながら「いいか、Y。リンゴが半分で1/2個だろ。1/2個と1/2個を合わせて1個だろ。だから1/2+1/2=1なんだ」と教えてくれました。それで、ようやく合点したそうです。それがなんと中学3年生のときです。

なんとか入った高校をやっと卒業し、その数日後に「オレは東京で一旗揚げるぞ」ということで東京に出ました。そして、新聞配達の仕事から始めて、やがてIT関係の会社を立ち上げて社長になり、関連会社を5つ持つほどになりました。

次ページどの仕事にもなじめなかったあの子も…
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