日本人が「悪い伝統」も残したがる残念な理由 ルールを変えたい人ほど日本では生きづらい

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その2つほど大きくなくても、世の中の風向きが変わる時期というのはある。たとえばバブル景気の頃と、その後の停滞した失われた30年間とでは、世の中の価値観が違う。

「ショック・ドクトリン」というのは、戦争や災害、テロなどの大惨事で人々があぜんとしているのに便乗して世の中を変えようという動きのこと。「惨事便乗型資本主義」と訳されるので、狭義では経済のことだが、それだけではない。私たちは、近いところで、2011年の東日本大震災以降、世間の風潮が変わったのを覚えている。こういった大小さまざまな時代の変化ポイントで、上からの「変えてはいけない圧力」が減る、あるいは消えるときがあるのだ。

なるほど、上からの圧力の変化はそれでわかった。では、下からはどうなのだ? 熱心な信奉者たちはずっと変わらないのではないか? いや実は、これがコロッと変わるのだ。

変わり身が早い日本人

何かを熱心に支持し、信奉する人たちは、世の中の流れが変わると、手のひらを返しだし熱心さは変わらない。ただその方向が変わるだけ。「鬼畜米英」から「アメリカ一辺倒」に変わった早さは、誰もが指摘するところだろう。さまざまなジャンルでも、それは同様だ。

『「日本の伝統」という幻想』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

実はこれは、「変えるな!」でも「変われ!」でも同じなのだ。「存続させろ!」でも「廃止しろ!」でも同じ。「○○はすばらしい!」でも「○○なんてダメ!」でも同じ。○○のところに明治維新、民営化、グローバリズム、アメリカ、日本などを入れてみればわかる。結局は、「上からの圧力がきている」という安心感というか、お墨付きを担保に、「下からの圧力」が呼応している。だから、世の中が変わると、潮が引くようにスーッと消えてしまうのだ。

変わり身が早いというか、節操がないというか……。これが日本人の伝統なのだろう。どこかほかの国、いやほかの星の生物みたいな立場でそれを笑っていられれば気が楽なのだが、この性向は現在まで地続きになっている。そして、私の中にも続いて流れている。

藤井 青銅 作家・放送作家

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ふじい せいどう / Saydo Fujii

23歳のとき、第1回「星新一ショートショートコンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家としての活動に入る。メディアでの活動も多岐にわたる。著作に『「日本の伝統」の正体』『幸せな裏方』などがある。

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