「松坂世代」37歳實松の何ともしぶとい戦い方 3人の子供と歩む「親子の絆」とその後の物語
「コーチとしては、指導するというよりまずは選手のことを知るということに重きを置きました。どんな性格をしているのか、どういう姿勢で取り組んでいるのか、どういう練習をしているのかなどを把握したうえで、どんなアドバイスをするべきかがわかると思うので。とにかく積極的に会話を重ねるようにしました。
それに、みんなの話を聞くことは、選手としての僕にとってもプラスになりました。たとえば配球のことやバッターの見方もそうですが、新鮮な部分や僕がわからなかったこともある。長くやっていると、どうしても考えが硬くなってしまう部分が1つ、2つはあるので、それを中和することができました」
そして幸いなことに、シーズン終了後に球団から選手兼任コーチとして再びオファーを受けることになった。
「1年1年が勝負ですし、戦力外を言い渡される覚悟もしていました。それでも『もう1年やってくれ』と言ってもらえた。去年のことを思えば、こんな幸せなことはない。村田がもう一度NPBでプレーしたくても、それは叶わなかった。本当に野球が好きで、やりたいと思ってもできないのがプロの世界。今、思えば去年の僕はまだまだ甘かった。
巨人から戦力外通告を受けた直後は『寂しい』と口にしていたんですからね。いよいよ仕事を失うという状況で『寂しい』だなんて、そんな言葉が出てくる時点で甘い。いつクビを切られてもおかしくない世界にいる自覚が薄かった」
『寂しい』と感じてしまった昨年とは違って、今年は「来年も頼む」と言ってくれる球団がある。そして何より自分自身がもっともっと野球をやりたい、そう強く感じている。
「やっぱり野球をやりたいという気持ちがいちばん大きいですよね。そうでなければ去年辞めてもよかったのかもしれない。やれる場所がある限り野球を続ける、それは松坂も同じなんじゃないですかね」
松坂はシンボルであり、同志でもある
實松は松坂のことを「僕らの世代のシンボル」と言う。高校のときから中心的存在として松坂から刺激を受けてきたが、残り少なくなってきた同世代として、實松の中では今はより“同志”という意識が強くなっているようだ。
「松坂もソフトバンクではなかなか試合で投げられず、厳しいことも言われたでしょうし、本当につらい日々を送っていたと思います。でも、彼も『野球がやりたい』という一心だったと思う。みんな、しんどい思いをしながらも、でも、野球がやりたい。根本はそこだと思います。移籍した中日で結果を残すのはすごいなと思いますし、この年齢まできたらお互い頑張ろうなという感じです」
そして、昨年の番組内で大粒の涙を流した長男・海翔君や長女・もゆさんだけでなく、末っ子の道君も實松の仕事が何かがわかり始めてきている。
「家族みんなに少しでも長く1軍の試合に出ているところを見せてあげたいんですよ。あと何年できるかはわからないですけど、自分で現役はもう無理だと思えるくらいしっかり追い込んで、来年こそはチームの日本一に貢献したいです」
そう力強く抱負を語ってくれた實松。松坂世代の一員として、そして3人の子供を持つ父親として、来シーズンも泥まみれになりながら、大好きな野球という仕事を全うしてゆく。
(文中敬称略、文:鷲崎 文彦/スポーツライター)
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