「松坂世代」37歳實松の何ともしぶとい戦い方 3人の子供と歩む「親子の絆」とその後の物語
「戦力外通告をされたのが10月30日で、ファイターズから連絡をいただいたのが11月16日。半月ほどでしたが、本当に長かったですね。来季に向けて体を休めていたので、12球団合同トライアウトの参加も準備不足で見送り。
契約は相手があることなので、自分だけでどうこうはできない。どこかから声がかかったときのために体を動かすなど、しっかり準備をする。それしかできなかった。しんどかったです」
選手として望むのはNPBの球団でプレーすること。しかし、妻と3人の子供を養う身としては、いつまでも待ち続けるわけにもいかなかった。
「独立リーグだったり、いろいろな方からさまざまなお話をいただいて、それらの選択をまったく考えなかったわけではありません。でも、やっぱりNPBでやりたいというのがいちばんでした。NPB以外の道は考えないようにしていた、というのが正直なところでしたね。家族の生活を守るためには、オファーが来ないという最悪のことも想定して考えなければいけなかったんでしょうけど」
實松はそう振り返るが、シビアな状況から目をそらしたわけではない。妻だけでなく子供たちにも、職を失ったありのままの自分を伝えた。
子供の前で胸が締め付けられるような思いをした實松
リビングで子供たちと向き合い、實松は重い口を開く。
「パパ、実はね……来年ジャイアンツのユニフォーム着て野球ができなくなったから」
「マジで?」と驚きを隠せない海翔君と長女のもゆさんに、いったん下げた視線をもう一度上げて實松は言葉をつなぐ。
「……普通にクビ、かな……」
野球が大好きな海翔君が聞き返す。
「戦力外?」
「うん。そういうこと言われたから」
子供たちの顔を見続けることができない。野球を続けられない可能性があることも告げるしかなかった。
当時、海翔君は小学6年生、もゆさんは4年生、1番下の道君はまだ5歳。胸が締め付けられるような思いをしながらも、父親として告白したのはなぜだったのか。
「子供に話すのはつらかったですよ。オファーがなかったら無職になるわけですし。ただ、隠せることではないですし、そういう過酷な世界に父親がいるということもわかってほしかった。でも僕は、自分自身がまたユニフォームを着られると信じていたから、言えた部分もあるかもしれません」
可能性は決して大きくなかった。それでも、實松が自分を信じられたのは、家族という大切な支えがあったからかもしれない。