日本育ちのカメルーン人が漫画に込めた思い 見た目外人・心日本人の彼の唯一無二の視点
ルネはカメルーンを3年ごとに訪れ、大抵ひと月ほど滞在する。しかしそこに友人は多くないと言う。
「カメルーンに友人はいりませんよ」と彼は笑い声を立てながら言う。「だって、あちらには200人以上の拡大家族がいるのですから。全員の名前を覚えることすらできません。僕が日本に住むカメルーン人という特別な存在であるため、みんな僕の名前を知っているし、覚えてくれています。でも僕はみんなのことを、個人個人として考えていません。僕にとってみんなはカメルーンそのものなのです。誰かが僕のところへ来て『やあ、ルネ!! 僕のこと覚えているかい? 一緒に川へ行ってエビ獲りしたよね、覚えてる?!』と言います。 そして僕は『ああ、そうだったね!』と言いますが、エビのことしか覚えていないんです」。
高校を卒業してからは工場に勤務
多文化や多言語にまつわる面白い体験には事欠かない。ルネは7歳の時、カメルーンに送られ、1年半滞在した。当時彼は第一言語として日本語を話すことに慣れていたが、カメルーンに行って3カ月経つとフランス語で話すだけではなく、夢もフランス語で見るようになっていた。
「自分の夢がフランス語にすり替わった晩のことを覚えています。起きて、『わぁ! フランス語だった!』と叫びました。それから日本へ帰ってひと月くらい経ち、精神的にもやっと日本へ戻った時に、夢が日本語に切り替わりました。言葉の時差ボケのようなものでした。身体がまず戻り、心は遅れて戻ったのです。僕の身体が言葉を待っていました。『お前はどこにいるんだ? まだカメルーンにいるのか?』と」
高校を卒業したルネは、工場で働き始めた。しかし2、3年務めてから、自分の望む人生の方向性について少し真剣に考えるようになった。
「僕はそれほどいい生徒ではなく、若い頃は少し反抗的だったので、将来について考えるということがなかったのです」とルネは言う。「父は僕と話し合おうとしました。でも、自分は、本当は日本人ではなく、父の本当の息子ではないのだから、父の言葉に耳を貸すこともない、とずっと思っていました。僕には何の志もありませんでした。友人とつるんで踊ったり楽しいことをしたりしたいと、ただそれだけでした。でも、工場労働者をずっと続けたいとは思いませんでした」。
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