鎌倉土産の超定番「鳩サブレー」の意外な来歴 鳩の形は120年以上前から変わっていない

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そんな豊島屋の前に立ちはだかったのが、「関東大震災」と「第2次世界大戦」の2つの出来事だった。関東大震災では地震、火災、津波の被害を受けて店舗は全壊。「店、資料、写真すべてを失った」(豊島屋・久保田陽彦社長)。

その後、なんとか再建にこぎ着けたものの、大戦直前の1941年(昭和16年)には原料の砂糖などが入手できなくなり、休業に追い込まれた。だが、「良い菓子」を作り続けたいという初代の強い思いで、なんとか再建し2つの大きな試練を乗り越えることができた。

売上増を第一義に考えていない

豊島屋124年の歴史を振り返り、大きな飛躍のきっかけを作ったのが3代目(社長在任1948~2008年)の久保田雅彦氏だった。それまでは八幡宮の参拝客を相手にした小さな土産物屋にすぎなかった豊島屋を、高度経済成長という追い風もあり、鎌倉土産の定番として成長させた。

3代目はその経営手腕を買われ、地元の鎌倉商工会議所会頭も務めた地元の名士だった。そして、現在は4代目の久保田陽彦氏が豊島屋を率いる。

鎌倉市小町にある本店(写真:豊島屋提供)

観光に訪れた一般顧客や地元の顧客相手の商売だけに、ときどきの景気状況に左右されやすい面は否めない。

それでも、豊島屋の売上高全体の80%前後を占める鳩サブレーを大黒柱に、売上高60億円強の水準を確保し続け、安定した財務基盤を保っている。内部留保を蓄積し、無借金経営を貫いてきた。それはバブル期も例外ではなかった。

「枝葉を枯らしても幹を枯らすな」という初代の言葉を代々受け継ぎ、本業の菓子作りと無関係なことには手を出さず、バブルに踊らされることもなかった。決して無理をせず、身の丈にあった経営を続けてきたからこそ、現在の豊島屋がある。

「当社は、売上増や利益増を第一義には考えていない。おいしいお菓子を作り続けること、『鳩サブレー』に続く、次代を担う新商品を製品化することが私の使命」と久保田社長は言う。

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