マスコミは言論の自由をはき違えている

跋扈する「陰弁慶」ジャーナリズム

批評というのは自由だし、批評そのものは大いにやらなければならないことであるが、ただ、それは当の本人、当の相手に面と向かっていいうること、あるいは、ごまかしなくその人に向かって、お前の考えはこのようにおかしいというふうにいえること、それを限度とすべきである。

直接その人に向かっていえないこと、あるいは陰に向かってコソコソといわなければならないような非難攻撃を発表するということは、非常にいけないことじゃないかと思うよ」といって、福沢諭吉先生の文章をわたくしに示してくれたことがありました。福沢諭吉先生がいった「老余の半生」と題するものです。

私の持論に、執筆者は勇(ゆう)を鼓(こ)して自由自在に書く可(べ)し、但し他人の事を論じ他人の身を評するには、自分と其(その)人と両々相対(あいたい)して直接に語られるやうな事に限りて、其以外に逸(いっ)す可(べか)らず、如何なる劇論、如何なる大言壮語も苦しからねど、新聞紙に之を記すのみにて、扨(さて)その相手の人に面会したとき、自分の良心に愧(は)ぢて率直に陳(の)べることの叶はぬ事を書いて居ながら、遠方から知らぬ風をして、恰(あたか)も逃げて廻(ま)はるやうなものは、之(これ)を名づけて蔭(かげ)弁慶(べんけい)の筆と云ふ、其蔭弁慶こそ無責任の空論と為り罵詈(ばり)讒謗(ざんぼう)の毒筆と為る、君子の愧づ可き所なりと常に警(いま)しめて居ます。

これは福沢先生が創設した『時事新報』の編集上の主義について書かれた文章だそうですが、小泉先生はこれをわたくしに示されましていわれました。

「君のところの社長、あるいは編集長でもいい、その人間を誹謗(ひぼう)する記事を、君たちは載せないだろう。ジャーナリズムというものはそのようなとき必ず載せないものである。つまり同じことなんだと、人に対して面と向かっていえないことを、言論の自由の美名の下に書いてはいけないのだ」ということを先生は力をこめておっしゃいました。

書きどく、売れどくのジャーナリズムがはびこっている

このことはわたくしも肝に銘じまして、ジャーナリズムの根本のことだなというふうに思いまして、よく若い編集者たちに言ってきたわけでございます。

しかしながら、昨今のマスコミ界を見ますと、何か先生の予言が当たっているような、いわゆる「蔭弁慶」的なジャーナリズムが日本中を席巻しているようでございまして、書きどく、売れどくの風潮がはびこっています。何かもう、そのころから先生は今日を見通していたのかなというような気がするわけでございます。

1952(昭和27)年に小泉先生が、1月号だと思いますが「平和論」という有名な論文を『文藝春秋』にご寄稿になりました。簡単に申し上げますと、全面講和か、あるいは少数講和かというような問題 で、論壇が真っ二つに割れてたというよりも、むしろ論壇はもう全面講和論一色で塗りつぶされているような時代でした。

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