マスコミは言論の自由をはき違えている 跋扈する「陰弁慶」ジャーナリズム

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そこへ、全面講和論がいかに現実的ではないかということから、小泉先生はお一人といってもいいと思いますが、反対の立場を表明されたわけであります。しかも、この問題は将来の日本のために大事であるから、『文藝春秋』という多くの読者に読まれている雑誌を選びたいという先生ご自身のご意思もあったようです。こうして『文藝春秋』にこの「平和論」が載りました。

結果はいわゆる平和論論争という、論壇をあげての大論争が起きるわけです。

「それは違う」と言い続ける人がいなくなっている

のちに小泉先生は、その平和論論争時代のことを想いだしながら、こんなことをわたくしに語ってくれました。

「知識人というのは敏感で、動きやすい人々が多いんだな。全面講和とだれか上に立つ人がいうと、一斉に動く。大義名分はそれ以外にないと我も我もとね。

これを”晴天の友”という。全部がそうだといったら、これは暴言だが、あのときによく考えてもみないで賛成の手を挙げた”晴天の友”がなんと多かったことかね。全面講和に固執することは、とりも直さず、米ソ両陣営の間に中立することを主張すること、それゆえに米軍の占領下にいつまでもとどまることを願うということになる。そんな愚かなことはないじゃないか。それを”晴天の友”は思ってもみなかった。君も、これからの人生で”晴天の友”にだけはなるなよ」

先生は皮肉な笑みを顔いっぱいに浮かべておられた。それをよく覚えています。

『語り継ぐこの国のかたち』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

昨今のように、先生がおっしゃるように、日本全体の状態、言論とかマスコミだけではございません、日本人全体の気持ちが、雪崩現象とわたくしたちマスコミの人間はいいますが、一斉にダーッと一つの方向に流れて走っていってしまう。先生のいうところの”晴天の友”ばかりがまわりにいる。そのような状況下にありまして、それは違うぞと、間違ってるぞということをいい続ける人はいなくなった。それが今日の状態ではないか、と思います。

船が左右にゆれると、足もとの怪しいわれわれは左舷あるいは右舷に転げ寄って、船の動揺を大きくして、あるいは転覆させてしまうかもしれない。そんなとき大事なのは、小泉先生のように「ノー、違う」とはっきりいえる人、足もとの確かな、よろけない乗員のあることであります。

あのでっかい体で、そして悠々と一言、一言、噛みしめるようにいう小泉先生の言葉が、まだいたかのように残っております。大へんに懐かしい人であると、心から思います。

半藤 一利 作家・原作・『昭和史』平凡社刊

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はんどう かずとし / Kazutoshi Hando

1930年、東京生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋に入社。『週刊文春』『文藝春秋』編集長、専務取締役などを経て、作家となる。歴史探偵を自称する。1993年、『漱石先生ぞな、もし』(文藝春秋)で新田次郎文学賞、1999年に『ノモンハンの夏』(文藝春秋)で山本七平賞、2006年に『昭和史 1926ー1945』『昭和史 戦後篇 1945ー1989』(平凡社)で毎日出版文化賞特別賞を受賞。2015年、菊池寛賞を受賞。その他の著書に『決定版 日本のいちばん長い日』『あの戦争と日本人』(文藝春秋)、『幕末史』(新潮社)、『世界史のなかの昭和史』(平凡社)、『歴史と戦争』『歴史と人生』(幻冬舎)など多数。2021年1月死去。

 

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