マスコミは言論の自由をはき違えている

跋扈する「陰弁慶」ジャーナリズム

著者が語る昨今の「陰弁慶」なジャーナリズムとは(写真:CORA/PIXTA)
近ごろ、言論の自由を笠に着て、まるで品位もなく言いたい放題の「蔭弁慶」的なジャーナリズムが日本中を席巻しているようではないか――。ヘイト言論に揺れるメディアの現状に、昭和史の大家はそう警告する。
言論の自由は、ヘイトスピーチを止められないのか。そうではない、とかつて喝破したのは元慶應義塾塾長の小泉信三氏であった。時代が変わっても、変わらず私たちが大切にすべき言論の自由と品位の関係、そして「ジャーナリズムの根本」とはなにか。半藤一利著『語り継ぐこの国のかたち』から考えてみたい。

言論界は何かおかしくなりつつあった

今から半世紀以上前になりますか、『文藝春秋』の巻頭で「座談おぼえ書き」という連載を書かれていた小泉信三先生という方がおりました。私は一介の編集者として先生の謦咳に接するというよりは、むしろいつもばか話をいたしまして、笑われたり呆れられたりしながら、たくさんのことを教えていただきました。

小泉先生は1966(昭和41)年5月にお亡くなりになりましたが、その直前まで「座談おぼえ書き」をお書きになっていました。その晩年のころの先生が、いちばん力を込めたといいますか、関心をお持ちになってお書きになっていたのは、つまり昭和40年から41年にかけてお書きになっていたのが、言論の問題ではなかったかと思います。

あるいはときを同じくしまして、産経新聞に、題はちょっと忘れてしまいましたが、短いコラムをお書きになっています。そこでも言論の自由ということに対してお書きになっている。ということは、昭和40年ぐらいから言論界というのが何かおかしくなりつつあるということを、独特の勘をもってお感じになっていたのではないでしょうか。

ちょうど中央公論社が深沢七郎氏の小説『風流夢譚』で攻撃を受けたりしている事件があった直後のことでした。

「半藤君、君は中央公論の問題をどう考えるかね。君ならばあれを載せたかね」と先生にきかれたので、「いや、わたくしならたぶん載せないと思います」というようなお話をしたことがあります。

そのときに小泉先生は、「言論の自由というそのことは非常に大事である、大事ではあるがその言論の自由ということを表に立てることにおいて、人に対していかなる非難攻撃を加えるのも自由であるというわけにはいかないのじゃないかと思う。

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