徳川家の末裔「95歳」で作家になった女の一生 「徳川おてんば姫」の息子が語る母の姿
「そういうのを見ていたから、ケンカで歯が飛んだとか、ヤクザが指落としたとか、それくらいではなんにも思わなかったそうです」
久美子さんは、看護師の資格は持っていなかったが、ほとんど看護師のようなことをしていたという。
お姫様生活とはまるで違う、修羅の世界で生きることができたのだろうか?
「おふくろも最初こそ衝撃だったけど、あっと言う間に慣れました。順応するのが高い人なんですね。もともと、面倒を見られるより、面倒を見るほうが好きって人でした。かいがいしく患者の面倒を見ていましたね。ブローチなどプレゼントを買っては、働いている看護師さんやアルバイトの人たちにプレゼントしていました」
当時は、ガーゼや包帯は使い捨てではなく、洗って何度でも使っていた。
久美子さんが洗濯したガーゼや包帯を干し、それを巻いている様子を、純さんは幼心によく覚えているという。
「料理を作るのも好きでした。お姫様時代は作ってもらうばっかりでしたから『自分でもやってみたい!!』という気持ちがあったのかもしれません。家に人を呼んでもてなすというのが好きでした」
50~60歳になってからは麻雀狂いに
意外なところでは、久美子さんは麻雀も好きだったという。
「最初は姑の付き合いで始めさせられて嫌だったらしいんですけど、50~60歳になってからは麻雀狂いになってましたね。仲間を家に呼んでやってました。あまり長くやるので父には『俺が死んでからやってくれ』って嫌みを言われていましたね(笑)。結局、90歳くらいまではやっていましたよ」
純さんは若い頃はやんちゃであり、警察に呼び出されて注意されたことも何度かあった。
ホテルに就職したあとも、遊興ざんまい。サラ金で借金を重ねて4度も父親に助けてもらった。ただ、久美子さんは注意はすれど、根に持つことはなかったし、平気だったという。
当時、病院は商売順調で年収は5000万円ほどあり、もちろん生活に困ることはなかった。次郎さんはとてもよくだまされる人だったという。
ゴルフ場の会員権を買っては暴落したり、「金(ゴールド)を買いませんか?」と言われて素直に数百万円で買ったあと「その金を預からせてください」と言われて素直に渡しそのまま持ち逃げされたりと、そんなことがしょっちゅうあった。
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