徳川家の末裔「95歳」で作家になった女の一生 「徳川おてんば姫」の息子が語る母の姿

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久美子さんが最後に純さんと住まわれていたのは、千葉県にある団地だった。

きれいに片付いている部屋だったが、それでもいわゆる団地の部屋で、今夏までクーラーもついていなかったという。

兄・慶光と(写真:井手純)

徳川の末裔ならば当然お屋敷に住んでいるものと思っていたので、少し驚いた。

久美子さんが生まれたのは、「徳川慶喜終焉の地」として知られる「第六天」と呼ばれたお屋敷だった。

現在は、国際仏教学大学院大学の敷地になっている。敷地の広さは3400坪、建物の広さは1300坪という信じられないほど広いお屋敷である。屋敷内では、つねに50人ほどの使用人が働いていたという。

着替えから何からすべて侍女がやってくれる、まさに“お姫様”として育てられた。

しかし久美子さんは、とてもおてんばだったという。

とてもお姫様とは思えない活動的なエピソード

「母は小さい頃は真っ黒に日焼けして石垣を駆け上ったり、木登りをしていたりしたって聞いています。よく『大将軍のお孫様が……』と小言を言われていたらしいですよ」

略系図(図:井手純)

本の中では、バレーボールをしていてひどい突き指で骨折してしまった話や、漁師の「八つぁん」に遠泳を教わって沖のほうまで泳いでいった揚げ句、カツオノエボシ(毒を持つクラゲ)に刺されて熱を出した話などが書かれている。とてもお姫様とは思えない活動的なエピソードだ。

でも、「お金を持って買い物するなど、お上のあそばすことではございません」と言われて、結婚するまでお店で買い物をしたことがなかったという話や、テニスに夢中になったので庭にコートを作ってもらったなどという話を聞くと、やっぱりスケールが大きいなあと思う。

「私が話を聞いても『そんな時代だったんだ』とは驚きますけど、でも正直ピンと来てなかったですね。感覚が違いすぎて。

私が母と暮らした時はぜいたくをしてなかったですから。

母の好物は『さつまいも入りのみそ汁』でした。慶喜も好きだったメニューらしくて、よく作っていました」

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