西武・松井稼頭央が回顧する現役時代の記憶 礒部公一&松井稼頭央プロ野球対談:前編

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礒部:近鉄は高村祐さんらがいたものの、やっぱり絶対的な先発ピッチャーがいなかった。優勝した時のチーム防御率は4.98で今年の西武よりは悪かったんです。チーム打率で.280だったので今年の西武のように打って勝たせてもらったかなと思いますね。

今年リーグ優勝したライオンズの選手も油がのってそろっているチームだったし、どこのチームに行ってもレギュラーに出られそうな選手たちだったね。ぼくらの古巣楽天もこういうふうになってほしいなと思いました。

ところで、稼頭央から見た、今年の楽天はどうだったかな?

松井:ピッチャー陣はよかったけれど、逆に言えばどうしてもピッチャーに頼るところが多かったですね。

礒部:去年の2017年シーズンに3位だった楽天が、いい感じで勝てたのは外国人選手が頑張ったところもあるし、長打力もあったし、今年も楽天は勝てるんじゃないかと開幕前は見ていましたけれど……。チャンスは作ったんだけどね。

松井:一発がないと、やっぱり大量得点が入らないですから。

礒部:メジャーから帰ってきて、楽天に加入して、それこそ2013年に優勝をした時はショートのバリバリのレギュラーで出ていましたけれど、楽天時代はどんなふうに考えている?

松井:あの時も外国人が頑張っていたわけで。メジャーから帰ってきて、戸惑いがありました。ボールの質がアメリカと日本とで違ったり、日米ではストライクゾーンもずれていましたね。外が広い分、内が狭かったりとしました。

動くボールに対して、メジャーでの対応に慣れてしまったら日本でうまく対応できなかったりと、現場で相談しながら試行錯誤していた感じですね。

礒部:楽天の時もそうですけど、自分で足りないところをずっと練習していたものね。稼頭央は昔から「練習の虫」だったから。

松井:逆に年を取ったら腰が……。僕はだいたい腰が悪かったんで、難しいところもありました。

辞めることの重み

礒部:これからは二軍監督として、古巣の仙台に行くこともできるね。仙台でうまい飯も食えるし。仙台のやさしいファンも待っているし。

近鉄の時は関西やから大変やった。藤井寺(近鉄の本拠地だった大阪の藤井寺球場)では汚い言葉が飛び交っていたもん(笑)。   

松井 稼頭央(まつい・かずお)/埼玉西武ライオンズ二軍監督。1975年大阪府生まれ。PL学園高を経て1994年西武入団。2004年から2010年までメジャー三球団を経て2011年東北楽天イーグルス入団。2018年コーチ兼任で西武に復帰し現役引退。11月から現職(撮影:風間仁一郎)

松井:藤井寺は、僕の家が大阪なんで、懐かしいですね。近鉄がなくなって……。気になって調べてみたら、今は球場の跡に学校が建っていますよ。

礒部:大阪球場、懐かしいね。ほんとうに、昔のことを思い出すと面白いよね。

裏話になりますけどね、松井君がFAした2003年の当時、僕らは中村ノリ(紀洋)とかと飯を食いに行ったりしてた。

だから、FAの前にも「礒さん、メッツ行ってきます」とわざわざ直接一言くれたよね。その時もおおって感じたし、今回の引退会見の前にも律義に「辞めます。今年で終わります」と連絡があって。

折り目正しくあいさつを欠かさないところ、稼頭央らしいなとうれしく思っていたよ。それにしても、稼頭央の現役引退は、先に引退した僕ら世代からしてみたら非常に感じるものがあった。古い人間がまた1人辞めていくというのは寂しいね。

松井:同世代という意味では、福浦(和也、ロッテ)が2000本打って名球会入りしました。あとは上原(浩治)もいますが、これからもやってもらいたいですね。

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