日本の旅館は、なぜ台湾でウケるのか? 成功する「日本式」の輸出、石川・加賀屋の台湾進出

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台湾で確たる地位を築きつつある加賀屋。日本流サービスが台湾人客の心を掴んでいる。

台湾開業3年で定着した加賀屋

東京五輪の招致委員会のプレゼンで滝川クリステルの「おもてなし」が話題になったことにより、日本的な他者への配慮を言い表す「おもてなし」が、世界に向けた立派な「商品」になることが証明された。

「おもてなし」は、立派な日本のソフトパワーだと言える。しかし、アニメやマンガはすでに実績があるが、「おもてなし」については、どうやって具体的に海外の人々に伝え、ビジネスにつなげていけばいいのか、現時点で解はない状態だ。

そうした中、「おもてなし」を海外に持ち込み、成功を納めている実例がある。石川県の温泉旅館・加賀屋による台湾進出である。

加賀屋は、言うまでもなく日本トップレベルの温泉旅館だ。「プロが選ぶ日本の旅館ホテル・100選」では、30年以上連続で総合1位を守り続け、特にその中の「もてなし」部門で圧倒的な評価を得ている。そんなザ・温泉旅館の加賀屋が、満を持して初の海外進出として2010年に開業したのが、台湾の「日勝生加賀屋旅館」である。

日本式のサービスを、現地事情に合わせて妥協することなく、そのまま導入するスタイルに、当初は危惧する声もあった。しかし開業から3年を経て、台湾の人々の間では、加賀屋と言えばあこがれの宿泊先としてすっかり定着した。「おもてなし」の輸出を成功させるひとつのカギが、加賀屋の実例から見えてきそうだ。

きっかけは李登輝元総統

台北駅からMRT(新都市交通システム)に40分ほど乗ると温泉地・北投温泉に着く。ここはラジウムを含む鉱石として有名な「北投石」の発見地でもあり、その名前はこの地名に由来する。もともと日本の統治時代に開発された温泉地で、戦後も発展を遂げ、今でも30軒以上の温泉宿泊施設がしのぎを削る台湾最大の温泉町となっている。

その一角に加賀屋が進出したのは、李登輝元総統が訪日時に加賀屋を気に入ったことがきっかけだ。加賀屋は台湾人の間で一気に有名になり、北陸観光の際に加賀屋に泊ることが台湾人のあこがれの観光コースとなった。

その加賀屋が、現地デベロッパーの日勝生と組んで立ち上げた「日勝生加賀屋」。平日の正午前に訪れると、玄関には10人ほどの着物姿の台湾人の女性たちが並んでいた。チェックアウトの時間帯には、いつもこうして「ありがとうございました」と深々とお辞儀をして見送るのだという。最近は日本でもあまり見かけなくなったサービスに驚かされる。

建物の内装も、大浴場も、部屋のしつらえも、完全に日本スタイル。当然、食事も石川県から運んだ食材も含めて、妥協なく「和風」を貫いている。

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