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ロングタームでみると、瀧澤さんの言うように、人間は自己を理解しようとする動物だから、人間を操作の対象として見るだけの人間観に対抗できるような新たなコンセプトを作っていくだろう、という展望をもつことは重要でしょう。しかし、そのような長期的でより合理的な選択をするのではなく、刹那的でいまこの瞬間の、より快適でより快楽的な気持ちになれる選択をしていくのも人間です。

そうやって短期的には、テクノロジーの操作対象になってしまいやすいという自然主義的人間観を、どのように変えていくことができるのかと問われると、説明に窮してしまうのではないでしょうか。

瀧澤 弘和(たきざわ ひろかず)/中央大学経済学部教授。1960年、東京生まれ。1997年東京大学大学院経済学研究科単位取得修了。東洋大学助教授、経済産業研究所フェロー、多摩大学准教授、中央大学准教授を経て、2010年4月より現職。専門は実験ゲーム理論、経済政策論、社会科学の哲学。著書に、『現代経済学』(中公新書)、共著に『経済政策論』(慶應義塾大学出版会)ほか。訳書に青木昌彦『比較制度分析に向けて』(共訳、NTT出版)、ジョセフ・ヒース『ルールに従う』(NTT出版)、ダグラス・ノース『ダグラス・ノース 制度原論』(共訳、東洋経済新報社)など(撮影:山内信也)

瀧澤:自然主義的な人間観に対する疑問をどう押し広げていけばいいのか。これは、本当に難しい問いです。僕自身、十分にその議論を展開できていませんが、ハラリのように、そうならざるをえないとまでは思いません。

人類は何度も危機に直面しながらも、その都度、問題解決をしていく能力を歴史的に示してきました。人間はチンパンジーと遺伝的にはほとんど変わらない。それなのになぜ、人間だけがこれだけの文明を築いてきたかというと、1つには人工物を自分のまわりにうまくつくり上げてきたからだと思います。人工物とインタラクション(相互作用)をしながらさまざまな情報処理をして、あたかも自分が非常に賢いかのように振る舞えるようになった。

そして本当に驚くべきことですが、人間は人工物と相互作用を繰り返しながらも、人工物に一方的に規定されるのではなく、人間を主人公として世界を見ることができた。それが現在は、人間が人工物に圧倒されているように思ってしまうところに問題があります。

経済学も再構築をする必要があるのでは?

中谷:ハラリの『ホモ・デウス』も、AIやバイオテクノロジーなど、新たに登場した強力な人工物の魅力には抗しがたく、その結果、ホモ・サピエンスは終わってしまうという議論ですね。しかし、そういう危機はたぶんこれまで何度もあって、それでも人間はギリギリのところで立ち直って、新たな人工物や制度をつくることによって克服してきた。そういうふうに人類の歴史を見るということですよね。

サルと人間は何が違うかというと、人間は自分たちにとって都合のいい人工物をつくりあげて、成功してきた。たった1人の脳ではできないことを、ものすごく複雑なシステムのなかでやり遂げる能力を人間は身に付けた。これが文明ですよね。新しいテクノロジーの世界で、人間が圧倒されているように見えるけど、それを克服する力を人間は潜在的には持っている。瀧澤さんはこういう考え方を軸にして、経済学もある種の再構築をしていかなければならないと考えているわけですか。

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