経済学の本質を知りたい人に教えたい現在地 富がいかに生まれ現在があるのかを探求する
中谷:賛成です。AI(人工知能)やバイオテクノロジーがどんどん発達して、データやアルゴリズムのほうが自分よりも自分についてよく知っているというような時代がくる、というのがハラリのシナリオですね。人間もデータなのだから、データを組み替えれば、サピエンスを超えた、神のごとき存在になれると。しかしハラリや行動経済学は、人間の本性を単純化してとらえすぎているんじゃないか、というのが瀧澤さんの批判だと思います。
人間は、アルゴリズムやゲノム編集に身を委ねる前に「ちょっと待て」と立ち止まって、その結果、人間はどうなるかとか、社会はどうなるかと自問自答できる。そういう自己反省が、新しい制度の構築にもつながっていくという理解でいいですか。
瀧澤:まさにそのとおりで、いま中谷先生がまとめてくださったことを、僕はこのことをずっと考えてきて、チャールズ・テイラーの哲学書などを読んできたのですが、最近ドイツの哲学者マルクス・ガブリエル著書の『I Am Not a Brain』という本を読んで、自分の言いたかったことが非常にうまく表現されていることを発見したのです。
中谷:「私は脳ではない」、つまり脳の中身を精緻に研究すれば人間がわかるというものではないということですね。人間が物質的な脳に還元されないのであれば、何が人間の本質だとガブリエルは主張しているのですか?
瀧澤:人間というのは、唯一、自分に対する認識をもつ心的な動物である、と彼は主張しています。人間は、己がどういう存在であるのか、という自己理解のあり方によって、当然、自分の振る舞いも変わるし、他人に対する態度も変わるわけです。僕の理解では、それがひいては、友情や家族といった制度の作り方も変えていく。制度は、そういった非常に複雑なメカニズムのなかで作られていくものです。
自然主義的人間観をどう変えるのか
中谷:ただ、テクノロジーの影響力も無視できません。いまやGAFA (Google、Apple、Facebook、Amazonの4社を指す)などの巨大企業が提供するプラットフォームは、多くの人々にとって不可欠なインフラになっています。実際、現代人は喜んで自分の個人情報を提供して、その見返りにプラットフォーム上のさまざまなサービスを享受しています。
確かに長期的な視点に立つと、自分がAIによって規定されてしまうリスクに身をさらしているようにも見えます。でも、普段の日常では「今晩は何を食べにいこうか」と思ってレストランを検索し、ネットの地図に誘導されるようにその場所へ移動する。やみくもに店を選ぶより、そのほうがずっと快適だし、満足度も高いからです。あるいは、薬によって記憶力を向上させるとか、前向きな気分になれるなら、好んで服用する人間だって出てくるでしょう。