ベアトリーチェの素性を徹底的に検証する研究がたくさん存在し、定説もあるが、ダンテは女をごまかす前科があるので、信じ切ることが難しい。「ベアトリーチェ」という名前自体も「救いを差し伸べる人」「愛を授ける人」というような意味合いなので、ニックネームとしてでっちあげた可能性も十分にありうる。
『新生』のみならず、すべての作品においてダンテのキモヲタ妄想癖が十分に味わうことができるが、謎のベールに包まれた美女について確かな情報が一切得られないのは本当に悔しい。後にイタリア語の生みの親と呼ばれるようになる大先生の思いにうすうす感づいていたのか、彼についてどう思っていたのか、ダンテなんぞ眼中になく、密かにハンサムな貴公子に思いを寄せて、ちらちらと目線を送っていたのか……。
イタリアの反対側には、賢い女たちがいた
しかし、もしベアトリーチェが苦悩に満ちあふれているダンテの詩を読むことができたとしても、全部はきっと理解できなかっただろう。ラテン語がちりばめられていて、ローマ時代と古代ギリシアのテーマ、カトリック教の哲学や美学観念がちらほら引用されているので、当時の女性が受けていた教育を考えるとチンプンカンプンだったに違いない。自ら作り上げた完璧な女性像を壊したくなかったからこそ、ダンテは生身の女より文学を選んだのかもしれない。それは悔しすぎることだ。
しかし、幸いなことに、同じ時期、ちょうど地球の反対側にある日本で、包み隠さず何もかも表現できた女たちがいた。
教育水準がとても高く、芸術に対して男性に劣らない知識を持ち、体の自由行動こそ禁じられていたものの、頭脳をフル回転して内面的な自由さを実現できた平安のレディスたち。万葉集や古今集を丸暗記して、どんな状況においてもパパッと気の利いた回答をすぐ出せた社交界のつわものたちだ。
ベアトリーチェが同じ武器を持っていたら、ダンテにどのような返事を出していたのだろう……。いつものようにそんな妄想をしていたら、世界の恋愛史に残したい、平安男女の「名やり取り」が浮かんできた。その内容は、また次回に……。
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