歴史に残る「純愛ストーカー」が見た切ない夢 イタリア文学の父、ダンテの妄想癖

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時は13世紀ごろ、花の都フィレンツェを舞台に、9歳のダンテ先生は生涯最大のアモーレとなる美少女ベアトリーチェとの運命的な出会いを果たす。一目ぼれをして以来、ダンテ青年は絶えず彼女を愛し、あこがれ続けている。ベアトリーチェは見え隠れするミューズとしてダンテのほとんどの作品に登場するが、彼は違う女性とお見合い結婚し、子どもを3人ももうけているそうだ。妄想とはいえ、本妻はよくもそんなことを許したと思わずにはいられない。

『新生』という作品はその思いの盛り上がりと悲しい結末を追っているが、これはハッキリ言って、作者の頭の中にしか存在しない相思相愛の物語である。2人は数回教会ですれ違っただけで友達ですらなく、進展が一切ないまま終わってしまうのだった。

ダンテ先生の妄想は常軌を逸することもしばしば

日本の古典文学に描かれている社会では、男女は隔てられて生活をしていたため、うわさや遠くから聞こえてくる琴の音だけに男が燃え、恋心を育み、思う存分文通とのぞきを楽しんでいた。その一方、中世のイタリアでは相手の顔をばっちり見ることができた反面、直接連絡を取ることは至難の業だった。

それゆえ、古い日本語では<見る>という単語は仲を深めるという意味合いを持っており、その表現に該当する古いイタリア語は<知る>というニュアンスを帯びた語彙になっている。直接話ができてもただでさえ思いが通じないことが多いのに、どちらにせよ愛を成就させるにはいばらの道を進むしかなかった。

こうした環境のせいか、ダンテの妄想は常軌を逸していることがしばしば……。その実に不可解な行動パターンは次のようなエピソードからもうかがえる。

【イザ流圧倒的意訳】
ある日、最愛なるベアトリーチェが教会にいるのを発見して、その輝かしい美しさに目を奪われて、うっとりしていたところだったが、ちょうど僕と彼女の間に、身分もそれなりに高く、見た目も悪くない女性がいた。その女性は自分が見つめられていると勘違いして、恥じらいながらもまんざらでもない感じでちらちらとこっちに目線を送り始めた。
そのあと、「ダンテはあの女にやられたね!」とみんながうわさしているのを聞いたが、誰もが僕の目当てはその別の女だと思い込んでいると知り、安心した。これで僕の秘密が暴かれるおそれもなく、実に好都合だ! 真実を察知されないように、その女性に対して名前は伏せておきましょう――。気があるという思わせぶりな態度をとり、間もなくうわさが広まった。この茶番は何カ月、いや、何年も続き、何度かその女性に詩を送ったりもしていたが、敬愛なるベアトリーチェと関係ないものは紹介するのはよそう。
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