1975年、キース・ジャレットは、既にジャズの世界で十分な成功をつかんでいました。20歳の時、アート・ブレイキーに見出されメジャー・デビュー。チャールス・ロイド四重奏団ではサイケデリック時代のジャズの地平を拡大。傑作「フォレスト・フラワー」には若きキースの勇姿が刻まれています。必聴盤です。そして、マイルス・デイヴィス楽団に参加します。ジャズが最も激しく変貌した瞬間を共有しました。そして、独立。現代ジャズの最先端を疾走します。
そのキース・ジャレットが1972年以来取り組んでいたのが、即興によるピアノ独奏です。要するに、公演の前には、具体的な楽曲を一切準備せずステージに上がり聴衆と対峙し、その瞬間に心に去来した印象をピアノで紡ぐのです。完全な即興演奏。
もちろん、ジャズの醍醐味は即興にあります。とはいえ、最初から最後まで即興演奏で聴衆を惹きつけるのは、大変なことです。が、キース・ジャレットの即興演奏は、聴衆の心に親しみや懐かしさを感じさせると同時に予想を裏切り驚愕させるのです。聴衆の心を鷲づかみにします。即興と言いつつ、実際はあらかじめ旋律とハーモニーを準備しておく、などというギミックとはまったく別次元です。
旅芸人のごとく
そして、1975年1月。キース・ジャレットはこの即興演奏スタイルで欧州公演旅行を行っていました。演奏を終えて宿舎に泊まると翌日は移動、そして公演、その後宿泊し、次の街へ移動して、という日々を過ごすのです。1月23日は、スイスのチューリッヒでの公演でした。そして、24日(金)は、ドイツのケルンで公演会が予定されていました。
チューリッヒからケルンは直線で約563キロの距離があります(東京から姫路くらい)。キースは、24日の朝は非常に早い時間に起床。ECMレコードの創始者にして名プロデューサーのマンフレート・アイヒャーが運転する自動車で出発します。アウトバーンを5時間かけて移動、午後にはケルンに到着します。
この時、キース・ジャレットは29歳。心身ともに健全なはずの年齢ですが、疲労困憊です。当然でしょう。連日の長距離の移動は肉体的に相当な負担です。加えて、この日は持病の脊椎痛が酷かったようです。
そのうえ、ピアノ独奏の即興演奏のコンサートで心理的なプレッシャーにもさらされます。ステージに登場するまで一体どんな演奏になるのか自分でも予測がつかないわけです。完全な即興演奏ですから。出来不出来、好不調の波もあります。眠れぬ夜もあります。公演ツアー中は慢性的な睡眠不足だったうえに前夜は一睡もできていなかったといいます。
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