今年、甲子園の投手の酷使が例年以上に大きな話題になっているのには、ある新書の出版が与えた影響が大きい。『甲子園という病』(新潮新書)。センセーショナルなタイトルだ。著者の氏原英明氏は十数年にわたって高校野球に密着し、選手の技術からメンタルまできめ細かな取材を行ってきた。大阪桐蔭高校の西谷監督をはじめ、指導者や選手の信頼も厚い。
その氏原氏をして、甲子園は危機的な状況であり、トーナメント戦からリーグ戦への移行など、大胆な改革が必要だ、と書かしめたのだ。『甲子園という病』は、外部の有識者の懸念とは一線を画す切実な思いが込められた本だといえよう。
氏原氏は今大会も連日甲子園の記者席に詰めて、全試合を観戦し、選手、指導者のインタビューにも参加している。大会期間中に氏原氏に話を聞いた。
「私が高校生の投手の酷使に疑問を抱いたのは、2013年春の安樂投手の772球がきっかけでした。あのときは、日本のメディアも少しは取り上げましたが、夏に安樂投手が出てきたときには、もう球数の話はしなくなりました。今大会も、済美対星稜の試合で済美の山口投手が延長13回を1人で投げきり、184球を投げました。
この試合後のインタビューで、新聞などメディア系の記者は誰も球数について監督や選手に質問しませんでした。侍ジャパンU18メンバー発表の際に連投した金足農の吉田投手が入っていることを質問したのも私だけでした。フリーランスのライターがその質問をするとその答えを記者たちがメモをとる。そんな図式です。何を恐れているのか、何に忖度しているのか、と思います」(氏原氏)
『甲子園という病』は、アマゾンのスポーツジャンルで上位にランクされるなど、多くの人に読まれている。それだけ今の高校野球報道に不満を持ち、疑問を抱いている人が多いということではないかと思う。
大げさに言えば、これは「メディアの危機」でさえある。現場の誰もが認める「投手の投球過多」という深刻な問題を、そのまま伝えることができない新聞、テレビ。何かに忖度をして口を閉ざすメディアは、果たして信頼するに足るのか。
誰のため、何のための高校野球なのか
有力な高校の監督に話を聞くと、「私たちがいくら投手を大事に使おうと思っても、今の地方大会、高校野球の日程が変わらないのだから、どうしたって酷使せざるを得なくなっている。学校や監督の力だけでは、どうすることもできない」という意見がしばしば出てくる。このあたりが「病」といいたくなるような根の深さなのだと思う。
21日の甲子園閉会式で高野連の八田英二会長は「秋田大会からひとりでマウンドを守る吉田投手を他の選手が盛り立てる姿は目標に向かって全員が一丸となる高校野球のお手本のようなチームでした」と語った。
そこには、高校野球が直面している大きな問題に対する危機感はうかがえなかった。金足農業のように、1人の投手しか用意せず、過酷なトーナメント戦を玉砕戦法で戦う高校が今後も増えれば、高校野球への不信感はさらに高まるだろう。
いろいろなしがらみはあるだろうが、高野連、朝日新聞などのメディアは、誰のために、何のために高校野球を運営し、報道しているのかを改めて考えるべきだろう。記念すべき100回大会を、そのための起点にしてもらいたいものだ。
(文中一部敬称略)
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