43歳で旅立った障害者の兄との「微妙な関係」 愛情と暴力が共存していた
アランはちょっとした犬の訓練士のようだった。子犬をあやすアランの姿を見れば、彼が人を傷つけるなんて思いも寄らないだろう。もしできたなら、兄は動物を助ける仕事をしたかもしれない。暴力的でないときは、アランは私が知るかぎり最も愛情深い人の1人だった。
アランが亡くなったとき、私には安堵はなかった。すぐに紛れもない悲しみに襲われた。私が悲しかったのは、兄を失っただけでなく、彼がよりよい人生を送り、私たちがより親密な関係になる可能性を失ったことだった。
アメリカでは子どもの6人に1人が発達障害
特別な支援が必要な人々の状況は、私たちが幼少期を過ごした1970~1980年代以降、大きく変化した。当時は兄のニーズや特別な支援が必要な家族を持つ人々に向けられる世間の冷たい目に対処する術がほとんどなかった。母がもがき苦しんだのは、自分が完全に孤独だと思っていたことも背景にあった。
アメリカ疾病対策センター(CDC)によると、今日のアメリカでは約6人に1人の子どもに発達障害がある。アランと私の子ども時代にはなかったサービスやサポートのネットワークが今は存在している。
今日のような環境だったら私たちの家族はもっとうまくやっていけただろうかと、よく考える。アランが亡くなってすぐに、彼がいつかよくなるという一筋の望みに自分がしがみついていたことに気づかされた。私が兄に対して抱いていた複雑な感情が解きほぐされ、お互い大人として仲良くやっていける時間が持てることを望んでいたのだ。
私とアランの関係は波乱に満ちたもので、恐ろしくすらあった。私は兄を愛していたかと問われれば、心から愛していた。彼の症状や、つねにつきまとう不安と恐れの暗い影がなければ、人生はどんなものだったろうと思い描いたこともある。