東京モーターショーに迫られる抜本的な改革 2019年開催に向け、今までどおりでいいのか

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この時代はバブルで、販売台数は右肩上がり、日本メーカーは車種を増やし続けていた時期である。ホンダはクリオ、ベルノ、プリモの3チャンネル制を敷き、マツダに至ってはマツダ店、アンフィニ店、ユーノス店、オートザム店とオートラマ店の5チャンネル制をやっていた頃だ。

1989年はエポックメーキングな年

特に1989年は日本車の歴史にとってはエポックメーキングな年で、マツダからは世界中が虜になった小粋なオープンカーのユーノス・ロードスターが登場、トヨタがメルセデスを震撼させた高級車セルシオを投入し、日産がR32 スカイラインGT-Rを発売、フェラーリやマクラーレンのクルマづくりに影響を与えたNSXをホンダが発表したのも1989年だ。

実に時代の転換期であった。日本人が、日本のクルマ好きが、誰しも日本車が世界に追いつき追い越した高揚感を感じ、自動車雑誌が書店で最も目立つ棚に並べられていた時代だ。

東京モーターショーも大いに賑わいをみせ、1987年に130万人弱だった入場者は1989年の第28回東京モーターショーでは192万人、続くバブル絶頂期の1991年には初の、そして唯一の200万人声を達成した。 このときは会期も15日間と延長されたのだが、幕張に1日平均40万人が押し寄せる熱気がどんなものであったのか、今では想像するのも難しい。ちなみにリーマンショック直後の2009年の入場者数は61万人である。

そんなふうに、クルマについて熱く語ることが普通であった時代が過ぎて、どれほどが経つだろう。モーターショーとは、庶民が憧れのクルマをただ見るためだけに、わざわざ遠くの展示場まで出かけて、入場料を払い、混雑した人ごみの中に入っていくイベントなのである。いや、そうであった。

東京モーターショーの主催者である自工会もあの手この手で海外メディアやメーカーの誘致に必死で取り組んで海外メディア向けイベントなどに取り組んでいるが、的外れな感じは否めない。2019年の次回開催に向けて今までどおりでいいのか。デトロイトオートショーが100年以上も続いた伝統だった開催時期を従来とずらし、イベントのテイストも少し変えていくことを決めたように、抜本的な変革を迫られているように、筆者には思えてならない。

森山 一雄 自動車ライター

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もりやま かずお / Kazuo Moriyama

海外事情通の自動車業界ライター。

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