東京モーターショーに迫られる抜本的な改革

2019年開催に向け、今までどおりでいいのか

こうした競争激化とあいまって東京モーターショー没落のきっかけになった要因の一つは、2008年のリーマンショック。以降、見る間にその地位を低下させてしまった。日本市場の縮小と同時に起こった中国市場の勃興により、多くの海外メーカーが東京モーターショーへの出展を取りやめた。2009年の東京モーターショーは、各メーカーが極端に経費を削った結果、照明も暗く、ショボいショーになってしまい、国際ショーというより、日本ドメスティックのショーに成り下がった感は否めない。

東京モーターショーの歴史

そんな東京モーターショーの歴史を振り返ってみよう。

日本の東京モーターショーは1954年に日比谷公園で始まった。1954(昭和29)年、太平洋戦争終結からたった9年のことである。当時、ホンダは四輪生産の10年も前で、マツダもまだトラックしかつくっておらず、スバルも名車「てんとう虫」こと360量産前夜、スズキも軽乗用参入はまだで、わずかな台数ながらも国産乗用車を独自設計していたのはトヨタ自動車ぐらいだった。

なにしろ戦後はGHQが1947年まで乗用車の生産を禁じていたので。1950年代に入ってからは、日野自動車がルノー、日産自動車がイギリスのオースティン、いすゞ自動車がイギリスのヒルマンを先方のライセンスで生産していた時代。要するに外国メーカーの設計した車のライセンスを買って生産している今の中国と似たような状況だった。

それを物語るように、初回の東京モーターショーは出品車267台のうち、乗用車はたったの17台だったそうだ。多くはトラックか、オートバイ。それでも10日間の会期中にまだまだ交通の便が悪い中、54万人の来場者を集めたことには、当時の庶民にマグマのようにたまっていったモータリゼーションへの熱気を感じずにはいられない。

5年後の1959年からは新設の晴海の東京国際見本市会場に移り、1989年からは総展示面積7万平方メートル強とはるかに面積が大きい(けど都心から遠い)千葉の幕張メッセに会場を移した。

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