モーツァルト「後宮からの誘拐」の斬新な響き 雇用主から解雇され、自由な発想で作曲

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コロレドとの訣別は、ザルツブルク宮廷楽団からの解雇を意味します。不自由ではあったけれど安定した地位と収入がなくなりました。結果、フリーランスの音楽家として生きるしかありません。幼き頃より格の高い宮廷楽団に地位を得ることを求めて父子で励んできて、今や楽都ウィーンに滞在しているのに。皮肉ですね。

しかし、モーツァルトは元気です。コロレドの呪縛から解放されたモーツァルトは自らの可能性を探求する自由を得て、フリーランスの音楽家として生計をたてます。後ろ盾のないモーツァルトですが、まず貴族の子女のピアノ教師として生計を立てながら人脈を開拓します。また、卓越した演奏家として、あるいは新進気鋭の作曲家としてモーツァルトの名が高まります。やがて啓蒙君主ヨーゼフ2世の知遇を得ます。ここでモーツァルトの運命の扉が開きます。

ドイツ語、恋人コンスタンツェ、そしてトルコ文化

ヨーゼフ2世はドイツ文化の普及に努めていて、ドイツ語オペラの制作を指示します。いち早く対応したのがモーツァルトです。「後宮からの誘拐」プロジェクトが動き出します。ドイツ人モーツァルトは音楽のエッセンスをイタリアに学び、オペラ作曲家としての成功を夢見ていました。代表作「フィガロの結婚」はイタリア語です。ですが、ドイツ語によるオペラをつくるという野心も持っていました。それがかなう時が到来したのです。

「後宮からの誘拐」の筋立ては、主人公ベルモンテがトルコの太守セリムの後宮に囚われの身となった恋人コンスタンツェを救出する冒険譚です。

注目すべき点が2つあります。

「後宮からの誘拐」ゲオルク・ショルティ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるもの、往年の名ソプラノ、エディタ・グルベローヴァの声が素晴らしい

第1に、劇中の恋人の名がコンスタンツェですが、モーツァルトの実生活でもコンスタンツェという名の娘と恋に落ちました。2人は結婚を熱望しているもののモーツァルトの父レオポルドが徹底的に反対していました。したがって、作曲しているモーツァルトの気分は主人公ベルモンテと交差します。コンスタンツェへの情熱が音楽に昇華したのです。

第2に、トルコです。当時はオスマン・トルコの時代で圧倒的な国力を誇っていました。ウィーンが包囲された記憶もまだ生々しく、コーヒーやクロワッサンや極上の宝飾品をもたらした先進的文化で知られていました。モーツァルトは、随所にトルコ情緒を秘めた旋律を配置します。第1幕第1場から聴衆を魅了します。この作品が持つ新しさの要因です。ピアノ・ソナタ第11番のトルコ行進曲に通じます。

「後宮からの誘拐」は、翌1782年7月、皇帝の肝入りでウィーンの名門ブルク劇場で初演。大好評でした。イタリア・オペラとは趣きを異にする当時の最先端の音楽です。1782/83シーズンで15回も上演された大ヒット作品となりました。ここからモーツァルトの音楽的冒険が本格始動します。

2枚の音盤をお勧めします。聴き比べの妙味が味わえます。ジョン・エリオット・ガーディナー盤は古楽器による演奏。18世紀の響きの再現です。
ゲオルク・ショルティ盤は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による20世紀の真髄。若き、エディタ・グルベローヴァのソプラノが凄いです。

良き週末をお過ごしあれ。

小栗 勘太郎 音楽愛好家

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おぐり かんたろう / Kantaro Oguri

1958年生まれ。東京外国語大学卒。米国滞在7年余。音楽愛好家。ポップ、ロック、ソウル、ジャズ、映画音楽からクラシックまで幅広く聴く。現在、 西日本新聞に「音楽プラスα」、毎日フォーラムに「歴史の中の音楽」を連載中。著書に『音楽ダイアリー SIDE A』『音楽ダイアリー SIDE B』(いずれも西日本新聞社刊)。

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