ブスと下衆が「枕草子」に出まくる深い事情 清少納言がぶった切ったのは誰だったのか

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実家を火事でなくし、後ろ盾になっていた男性が次々と失脚して、24歳の若さで、お産の後にあっけなく亡くなってしまうその一生を振り返ってみると悲しい出来事のオンパレードだった。そして、苦悩を極めた定子の前に、清少納言が差し出したのは『枕草子』という新作だった。

そこには美しさと明るさが詰まっていて、温かい言葉がたくさん書かれていた。ブスだの下衆だの、大げさな表現を面白おかしく書いていたとき、清姐さんは定子がクスクスと笑う様子を想像していたのだろう。

情け容赦ない清姐さんの美意識は今も

清少納言は定子が亡くなってからも、10年近く執筆を続いていたと言われている。ブログのように『枕草子』のコンテンツ更新に勤しんだのである。道長のうわさはさすがに流さなかったが、当時の権力者に関する具体的なエピソードも慎むことなく辛口な筆致で書き続け、紫式部の旦那も「あいつダサいッ」とぶった切っている。守ってくれそうな後ろ盾がまったくない状態で、定子サロンのすばらしさを訴え続けた清姐さん。彰子を支持していた人たちにとってはきっと面白くなかったことだろう。

聡明で人気が高く、平安の文化水準を上げた定子の死は、当時の社会に大きな衝撃を与え、『枕草子』はその喪失感を埋めるものとなったとも考えられる。そして、それを意識していた清少納言は、悪いところをすべて排除して、定子が作り上げた華やかな世界をつづり続けた。辛辣な一発屋にも思えるときもあるが、その背後にあった悲惨な出来事を考慮すると、清少納言の筋の通し方はこの上なく格好いい。

『枕草子』となった真っ白な紙を定子からもらったとき、清少納言は道長からスパイ疑惑をかけられて実家にこもっていた。定子が死んでからほんの少しの間寝返って彰子に仕えていたのではないかという説もあるが、私は絶対に信じない。『枕草子』の行間からヒシヒシと伝わってくる定子への愛、彼女が象徴していた文化と時代へのあこがれとリスペクトを見ると、そんなことはありえない。

美しいものは美しい。醜いものは醜い。そしてブスはブス! 情け容赦は一切いらない。それは清少納言が、そのすべてをささげた鉄則だ。美しいものを見続ければ、自分も少しは美しくなれるという思い込みもそこにある。そして、その大いなる思い込みに支えられて、清少納言の美意識は1000年以上色あせず、今も凛としたままで生きている。

さて、マイ『枕草子』を閉じて、今夜は読み古した文庫本を枕元に置いてみることにする。周りを見回すとこの殺風景な部屋もなかなか悪くないと思う。つらいときに流れてくる涙も虹色に輝くダイヤだと思えばいいのかな、と完全なる勘違いを胸に抱いて今夜も眠りに就こう……。

イザベラ・ディオニシオ 翻訳家

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Isabella Dionisio

イタリア出身。大学時代より日本文学に親しみ、2005年に来日。お茶の水女子大学大学院修士課程(比較社会文化学日本語日本文学コース)を修了後、イタリア語・英語翻訳者および翻訳コーディネーターとして活躍中。趣味はごろごろしながら本を読むこと、サルサを踊ること。近著に『悩んでもがいて、作家になった彼女たち』。

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