294段
イケている歌を、ノートか何かに書き留めておいたのに、まったく話にならないような下衆がその言葉を使っていると聞くと、何とも情けない気持ちになるわ。
厳しいッ! 貴族に属していない人々はきれいな言葉に触れる資格もなし。ごくごく限られた人たちしか美の世界にアクセスできないなんて、今思えば窒息しそうな狭い社会だったであろうと思わざるをえない。
では、きれいな人だけがきれいなものをたしなむことが許された世界を信じ切っていた清姐さんは、誰に向かって書いていたのだろうか。その答えは極めて簡単。一条天皇の寵愛を一身に受けた定子様だ。清少納言が中宮定子を絶賛している段がたくさんあるが、その圧倒的な愛が最も表現されているのは、「うれしきもの」の一節なのではないかと思う。
アイドル好きと変わらない清姐さんの視点
276段
身分の高い方の前に人が大勢いるとき、昔話でもいいし、今聞いたことでもいいし、世間一般でうわさになっていることでもいいし、そのお方が話しているときに、私に目を合わせて話を進めてくれるのは、とてもうれしいわ!
実際には定子の名前が出ていないが、清姐さんはおそらく彼女のことを思い浮かべてこの文章を書いたと推測される。何万人の観客がいるコンサートで、好きなアイドルと目が合った!と思ってしまう熱狂的なファンの気持ちと似てなくもない勘違いぶりである。
『枕草子』は清少納言が定子に仕えていた7年間の宮廷生活を基に書かれているが、定子が輝いていた頃の1年半に焦点を当てて、その間に起きた出来事を中心に展開されている。が、藤原道長が、1人の天皇に対して、1人の中宮というルールを破り、自らの娘を一条天皇の中宮に据えたことで、定子の生活は暗転する。
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