職場の仲間で焼肉屋に行って「とりあえずビール」とオーダーしたら「僕はご飯」と言う若者がいて、ショックを受けたのはもう20年も前になるだろうか。
今どき、焼肉屋で最初にビールをオーダーする比率はもしかしたら半分もないのかもしれない。「とりあえずビール」という言葉も、昭和の香りが染みついた”古語”になりつつある。
そして最近では「昨日のナイターの結果」で、始業前のオフィスが盛り上がることもすっかりなくなった。おじさんはそぞろ寂しさを感じる。ビールも野球も今の世の中では、ちょっとずつ端っこに追いやられつつある。
野球とビールの関係がいつごろから始まったのか?
筆者はビールメーカー4社(アサヒ・キリン・サッポロ・サントリー)に問い合わせたが、明確な答えは得られなかった。
ただ、野球が1870年代にアメリカのお雇い外国人、ホーレス・ウィルソンによってもたらされ、ビールは1872年に大阪で渋谷庄三郎(しぶたに しょうざぶろう)が日本人で初めて醸造を開始したのを見ても、ほぼ同時期に伝来し、足並みをそろえるように日本人の生活に浸透していったのは間違いない。
野球とビールは原初の時期から深く結びついていたのだろう。(関連記事:『球場「ビール売り子」たちの可憐でアツい戦い』7月31日配信)
メディアを通して結びつきを強めた野球とビール
戦後、ビールメーカーは、大人気となったプロ野球とタイアップして拡販を目指すべく、積極的なアプローチを始める。
「キリンビールは、1952年、大阪のABC(朝日放送)ラジオの南海-毎日戦の中継のスポンサーになりました。そして1959年の日本シリーズ巨人-南海戦では第1戦のテレビ中継のスポンサーになりました。松下電器さん、寿屋さん(現サントリー)、東芝さんなどと競合しましたが、何とか一社独占に成功しました」
キリンビール株式会社のマーケティング本部営業部チャネル政策担当の塚本彩子主務は話す。
1959年といえば、皇太子(現天皇)ご成婚でテレビの受像機が爆発的に売れた年だ。まさにメディアの大きな変革の年に、キリンビールはプロ野球とタッグを組んだのだ。
以後、ビールメーカーは野球中継を強力な”宣伝媒体”と認識しテレビ、ラジオのスポンサーになってきた。また野球場でのビール販売にも力を注いできた。
昭和の昔、野球場では詰襟の学生が、底の浅い岡持ちのような木製台に瓶ビールを入れ、これを首から下げて売り歩いていた。売れたらビールの栓を抜き、紙コップを被せ、ひっくり返してビールを注ぐ。「ビールいかがっすか! (関西ではビールどーでぇ!)」の売り声は球場の風物詩だった。
私の父はそういう売り子からビールを必ず買った。お金を渡すときに「がんばってや」と言いながら。苦学生だった父は、応援の意味もあってビールを飲んでいたのかもしれない。
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