女子野球選手が切り拓いた「もう一つの野球」

野球愛あふれる彼女たちが打開してきた苦難

第5回女子野球シニア交流大会のプレイボールの様子(筆者撮影)

今年の3月3日、大阪府箕面市の履正社・箕面キャンパスのグランドには、ユニフォームを身にまとった女性たちが集結していた。

準備体操の後、キャッチボールやノックをした。糸を引くような送球が飛び交い、グラブやミットは大きな音を立てた。手慣れた球さばきといい、ノックの見事さといい、ただモノではない。

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彼女たちは、35歳以上の女子野球選手による「第5回女子野球シニア交流大会」に参加するため、各地から集まってきたトップクラスの女子野球選手たちだった。元日本代表メンバーもいる。

まだ女子野球の社会的な認知が拡がらない時代から、野球一筋に情熱を注いできた女子野球のレジェンドたちなのだ。

私は王貞治選手みたいになる!

この日の試合で、右翼を守りながらひときわ、はつらつとしたプレーを見せていたのが鈴木慶子だ。彼女の野球歴は40年に及ぶ。多くの女子野球選手にとって、彼女はあこがれであり、目標だった。

「誕生日が同じだったので、小さい頃から王貞治選手が好きでした。同じ左利きだし、私は大きくなったらプロ野球選手になって、王選手みたいになるんだと思っていました」

幼稚園で野球のルールを覚え、夢中になる。両親は野球経験がなかったが、グラブなど用具を買ってくれた。小学3年生の時に、近所のボーイズリーグ(少年硬式野球倶楽部)の監督が、軟式の女子部を作る。鈴木はもちろん参加して、中学3年までプレーした。

「高校に入ったら女子野球部はなかったので、ソフトボール部を作って3年間、ソフトをやりました。ただソフトボールを極めようという気はありませんでした。私は野球がやりたかったのです」

大学に進むと学校に働きかけて女子軟式野球部を作ろうとするが、実現しなかった。しかし、2年の時に女子野球チーム「町田スパークラーズ」が設立されたので、このチームに入りプレーを続ける。

鈴木はこのチームで、選手、プレイングマネジャーとして実に30年間野球に打ち込むのだ。

1995年、彼女に転機が訪れる。アメリカで女子プロ野球リーグが開設されたのだ。「それまで硬式野球の経験はありませんでしたが、アメリカでトライアウトを受けに行って、初めて硬球でプレーしました」

アメリカでは1992年にマドンナが出演した映画「プリティ・リーグ」がヒット。1940~50年代に存在した全米女子プロ野球リーグを題材にしたこの映画が人気になったように、この頃から女子野球ブームが起こっていた。

鈴木は、最も実力があり、男子チームとも試合が組まれる「コロラド・シルバーブレッツ」には入ることができなかったが、全米各地にできた女子リーグのフロリダのチームに入団することができた。

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