女子野球選手が切り拓いた「もう一つの野球」 野球愛あふれる彼女たちが打開してきた苦難

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同大会での田中ゆふさん(筆者撮影)

鈴木慶子らが設立した女子日本代表「チーム・エネルゲン」の第2期に参加した田中ゆふ(旧姓三木)も、鈴木の背中を追いかけた女子野球選手だ。

物心ついたときには兄やその友達と野球をして遊ぶ毎日を過ごした。小学校5年から男子に交じって野球をしたが、中学では入れてもらえずソフトボールをする。高校でもソフト部に進むが、野球への思いが断ちがたく、退部。弘前大学に入学すると硬式野球部の門をたたく。大学野球ではすんなり受け入れられ、男子に交じって練習し、北東北大学野球リーグの公式戦にも出場した。

そして2年のときにエネルゲンのトライアウトを受けて、女子日本代表の一員となり、第1回日米女子野球大会の勝利メンバーとなった。

田中は卒業後は女子野球の監督兼選手をしていたが、のちの女子野球日本代表監督も務めた大倉孝一が設立した倉敷ピーチジャックスに参加、当初は男子に交じってプレーし、女子部ができると中心選手となった。

現役引退後は中学男子硬式チームでコーチなども務める。同時に研究者の道を志し、広島大学大学院で博士号を取得。現在は近畿大学経営学部教養・基礎教育部門 准教授として教壇に立っている。

専門はスポーツ心理学。研究対象は野球。指導法や指導内容についての研究が中心だ。「女子野球シニア交流大会」では一塁を守った。

「私たちの時代は、一生試合に出られないかもしれないのに、ばかみたいに頑張ってきました。スポーツ心理学でいえば、目標もなしに内からくるやる気だけでスポーツを続けるのは難しいはずです。それを続けてきたのは奇跡に近い。それが今では、いろいろな夢が実現しつつあります。

できることなら、彼女たちにも甲子園球場で決勝戦をさせてほしい。朝早くでもいい。誰も見に来なくてもいい、小さい頃からあこがれだった甲子園で野球ができれば、彼女たちの夢はかないます。そうなれば、女子野球人口はさらに増えるでしょう」

女子と男子の野球文化は大きく異なる

女子野球の取材をして実感するのは、男子とは大きく異なる「野球文化」が育っていることだ。

たとえば、女子の練習では、ブルペンで先輩の投球フォームを見て、後輩がアドバイスをすることがある。またバットケースにつけたチャームやアクセサリーを交換したりする。

男子野球では後輩は先輩に絶対服従。後輩から話しかけることさえはばかられる雰囲気がある。しかし女子では先輩と後輩が笑い転げるシーンも見られる。

また、指導者との関係も絶対的な上下関係ではない。

田中ゆふは言う。「大倉孝一監督の時代、侍ジャパン女子代表の選手選考の後、監督室の前に選から漏れた選手がずらっと並びました。監督に説明を求めたんです。男子は何でも”はいっ”で済ませますが、女子は納得しなければ引き下がりません。大倉監督もこれには驚いたと言っておられました」。

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