女子野球選手が切り拓いた「もう一つの野球」 野球愛あふれる彼女たちが打開してきた苦難

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鈴木慶子の一途な「野球愛」に裏付けられた活躍は、後輩の女子選手たちに大きな影響を与えた。

鈴木がアメリカの女子プロ野球チーム「フロリダ・レジェンズ」に入団したニュースは、1998年7月8日の朝日新聞夕刊で大きく報じられた。この新聞を読んで、目を見開かされた野球少女がいる。当時、兵庫県立小野高校硬式野球部で唯一の女子選手だった橘田恵。現在の侍ジャパン女子代表監督だ。

当時の彼女は選手ではなく「練習生」で、高野連の通達で女子は、試合はおろか危険が伴うとの理由で打撃練習やシートノックなども参加できない。同時にヤングリーグ(少年硬式野球チーム)の監督の好意で、中学のチームにも参加し、現西武ライオンズの栗山巧、東京ヤクルトスワローズの坂口智隆らと練習をしていたが、女子野球選手としての未来は霧の中だった。

鈴木慶子をトレースするように道を歩んだ橘田

しかし、橘田は鈴木慶子の挑戦を目にして、自分も世界に出て野球をしようと決心する。仙台大学に進み、仙台六大学史上初の女子選手として試合にも出た橘田は卒業後、オーストラリアのクラブチームでプレーする。日本で半年仕事をして、半年現地でプレーをする生活を始めた。鈴木慶子をトレースするような野球人生を歩んだのだ。

橘田は日本代表選手のトライアウトも受けたが、最終選考まではいくものの代表には選ばれなかった。

その後、橘田は指導者の道を歩む。埼玉県の花咲徳栄高校のコーチを経て、南九州短期大学のコーチ、監督を務めながら、鹿屋体育大学の大学院でコーチングを学び、関西に戻って履正社医療スポーツ専門学校女子野球部(履正社RECTOVENUS)の監督に就任した。

さらに、学園の理解と協力があり、系列の履正社高校にも女子硬式野球部を設立、これも指導した。両チームともに当初は弱かったが、しだいに力をつけてともに全国制覇も果たした。

履正社高校の女子野球選手にノックをする橘田恵監督(筆者撮影)

昨年、全日本女子野球連盟の長谷川一雄会長から連絡をもらい、侍ジャパンの女子代表監督に就任する。

選手としての代表経験はないが、指導者としての手腕が評価されたのだ。

「昔に比べれば、女子野球の選択肢はすごく増えました。実業団に行ったり、クラブチームに行ったり、もちろんプロという道もあります。最近の選手は進路先の選択に困っているくらいです。野球がしたくてもできなかった私の時代から考えると、ずいぶん変わったな、と感慨を覚えます」

3月3日の「女子野球シニア交流大会」は、橘田が会場の手配をした。試合では代打で登場し、ライナー性の安打を放った。

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