コミュニケーションが細やかなのは女性だから、ということもあるだろう。
同時に女子野球の指導が丁寧で優しいのは、指導者たちの根底に「野球ができること」への喜びと感謝の念があるためだと感じる。
そもそも、鈴木、橘田、田中の世代は「女子が野球をする」ことさえ難しかった。彼女たちにとって今、女子が男子と変わらない条件で野球ができることが、信じられないほどうれしいし、ありがたい。
筆者は最近、知り合いのライターから「甲子園で活躍してプロ入りした有名選手が、”僕は野球が楽しいと思ったことは一度もない”と言った。ショックだった」という話を聞いた。それは彼女たちからすれば罰当たりな発言だろう。
さらに言えば、野球ができることへの感謝の念は「実力にかかわらず、すべての選手に野球をさせてあげたい」という考えへとつながる。橘田は、履正社専門学校、履正社高校の監督を兼務しているが、A、Bチームを作って全員が試合に出る機会を与えている。
「補欠でも頑張れる環境にしたい、選手にはできるだけ多く試合出場の機会を与えたい。一人でも多く試合に出したい、みんなを野球好きにしたい。そうじゃないと学校教育としても野球がうまくいかないと思います」
「男子の野球文化」が流入する懸念
女子野球の競技人口は急増している。女子高校野球の全国大会は、1997年5校で始まったが、昨年の第21回大会は26校に増えた。
しかし、気掛かりな状況も見え隠れする。私学を中心に、「女子野球」を看板にする高校も増えた。それに伴い、男子の指導者が女子を指導する機会も増えてきた。これが、女子の野球文化に少なからぬ影響を及ぼしつつある。
石田(旧姓千葉)京子は鈴木慶子よりもさらに上の世代。大阪出身で1970年代に大阪初の女子野球チーム「大阪エンタープライズ」を作る。
結婚後は東京に移り、出産育児の合間にかつて(1950年代)の女子プロ野球選手を中心に構成された「東京スターズ」に所属したのち、長女の石田悠紀子(2014年、2016年女子野球日本代表)が入学した花咲徳栄高校で橘田の誘いを受け硬式クラブチームで活動を始めた。その後、女子選手の活動支援のためにクラブチームの代表となった。
「昔の女子野球は興行のようなものでした。女子野球選手は試合が終わったら、宴席でお偉いさんのお酌をして回ったものです。私たちはそういう時代から、女子野球を健全なスポーツにしようと頑張ってきた。近年は、スポーツとして、アスリートとして認められつつあることを感じています。女子の可能性、伸びしろが着目されることは喜ばしい。
しかし一方、一部の男子野球のマインドを持ったチーム関係者や指導者らが、その手法をもって性急に女子野球での結果を求めているのではないかと感じています。男子の野球でも問題になっている勝利至上主義のもたらす弊害が、今まで独自の世界観で育んできた女子野球のすばらしさの芽を摘んでしまわないかが気掛かりです。
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