女子野球選手が切り拓いた「もう一つの野球」 野球愛あふれる彼女たちが打開してきた苦難

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同大会での鈴木慶子さん(筆者撮影)

プロ野球とは言ってもミールクーポンやホテル宿泊費などの経費負担がある程度で、年俸はない。

就労ビザは取れなかったため、シーズンオフに日本で働いておカネをため、アメリカで野球をした。もちろん、その期間中も「町田スパークラーズ」でも野球をしていた。鈴木はこういう生活を3年間続けた。

4年目の1998年には、6チームから成る全米の女子プロ野球リーグができたので、そのうちの1つ「フロリダ・レジェンズ」に参加した。

「ポジションは一塁か外野、アメリカの選手の中に入れば小さいほうでしたが、足は速くて1、2番か下位を打っていました」

しかし、この女子野球リーグは1年持たずに消滅してしまう。30歳になっていた鈴木は大きな目標を失ってしまった。

女子野球日本代表を結成し鈴木がキャプテンに

「せっかく頑張ってきたのに納得いかない、と思っていたら、私など女子選手をずっと支援してくださったMLB評論家の福島良一さんが、”日本代表チームを作って国際大会に参加しよう”と言ってくださって、それでナショナルチームを作ることになったんです」

女子代表のチーム名は「チーム・エネルゲン」。初代監督には、日本人初のメジャーリーガーだった村上雅則が就任。鈴木はキャプテンになった。

「軟式野球をやっていた仲間に”アメリカで硬式野球ができるよ”と声を掛けました。”やりたい!”と参加してくれてナショナルチームができました。経費はどこからも出ません。全部自腹でしたが、みんな喜んで参加しました」

チーム・エネルゲンは、1999年4月にアメリカ、フロリダ州で行われた全米女子野球選手権に参加、残念ながら2勝2敗で予選リーグで敗退したが、これが日本の女子代表チーム第1号だった。

鈴木は翌年の第2期チーム・エネルゲンにも参加。この年、チームは日本で行われた第1回日米女子野球で勝利するが、第3期のトライアウトで選に漏れて代表を引退する。

しかし彼女の野球に対する情熱は衰えなかった。

「仲間を誘って、世界大会に参加するチームを作ったんです。このチームにはトライアウトはありません。遠征に行くおカネがあって、野球が好きなら、誰でも参加できます。大会に行けば全員が試合に出られます。海外でのプレー経験が長い私のところには国際大会の情報がいち早く入ってきます。それに向けてメンバーを集め、練習をしてチームを作るんです」

「ファー・イースト・ブルーマーズ」の練習風景、横浜隼人高校にて(筆者撮影)

鈴木が率いる「ファー・イースト・ブルーマーズ」は、すでに24回も国際大会に遠征している。

メンバーはさまざまな職業を持ち、全員がそろうのは難しいが、時間と場所を都合して練習をし、チームづくりをしている。

勝利が目的ではない。野球を通じて世界の女子選手と交流すること、そして何より「野球を楽しむこと」が目的だ。今年も「ファー・イースト・ブルーマーズ」は香港で行われた国際大会に参加した。

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