ポケモンGO開発者・野村氏のキャリアの転機 エンジニアからプロダクトマネジャーへ転身

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そして米国に来てから1年が経とうとしていた12月頃、翌年のエイプリルフール企画の検討をしていた際、ある日、「Google マップ上でポケモンを捕まえたら面白いんじゃないか?」というアイディアを思い付いたんです。

早速デモを作成してみんなに見せて回り、好評を得てプロジェクトが本格始動。14年4月、『ポケモンチャレンジ』というエイプリルフール企画を開催し、かなりの人気を集めました。これが子どもの頃大好きだったポケモンとの“初仕事”です(笑)。

ポケモンチャレンジのローンチ前、当時Googleの社内スタートアップだったNiantic Labs創業者のジョン・ハンケ(現Niantic, Inc.のCEO)と、UX/Visual Designerだった川島(現アジア統括本部長およびエグゼクティブプロデューサー)たちが、社内向けに作ったデモを見て声を掛けてくれました。

Niantic Labsは当時、位置情報を使って実世界で行う陣地取りゲーム『イングレス』を提供していました。「ポケモンを使ってイングレスのように実世界でプレーするゲームが作れないか?」と言われ、僕はとてもワクワクして、これに賛同したのです。

その後、正式に『Pokémon GO』のプロジェクトがスタートしたタイミングでNiantic Labsに移籍。それから1年ほど後、Niantic Labs はGoogleから独立し、現在のNiantic, Inc.となりました。

エンジニアから、より大きい役割を担う存在へ

現在、僕はプロダクトマネジャーという仕事をしています。チームをまとめて方向性をつくり、仲間たちと一緒にプロダクトを開発する。こうしたプロセスをリードする役割です。

Nianticに入社した当初は、これからもエンジニアとして仕事をしたいと思っていました。しかし、当初は数人程度だったPokémon GOのプロジェクトチームも、その後、次第に規模が大きくなっていきました。Pokémon GOというプロダクト全体に目配りし、責任を持って育てていくためには、僕がプロダクトマネジャーを務める必要があると考えたのです。

(撮影:吉永和久)

エンジニアとしてコードを書くのは大好きですが、よりインパクトの大きい役割を担うにはエンジニアのままでは難しい。覚悟を決めてプロダクトマネジャーになりました。

ただ、気持ちとしては今でもいちエンジニアのつもりですし、時間を見つけてはコードを書いています。職務としての要請からではなく、自分の情熱がそうさせているんです。

自分にマネジメントが向いているかは分かりませんが、自分がマネジメントされていた時の気持ちを忘れないことが大事だと思っています。

マネジャーのもとで部下として働いていた時、自分はどんなことを感じ、何に困っていたか。日々それを思い出しながら、プロジェクトメンバーたちと接しています。

Google マップの仕事をしていた時、印象的な出来事がありました。ある時、マイケルという新しいマネジャーが着任して、1対1のミーティングを持ったんです。

簡単な自己紹介の後でマイケルは「タツオは、オレのために仕事をするわけじゃない。オレが、タツオのために仕事をする」と言いました。僕の業務がスムーズにいくため、また僕のキャリアを成功させるために、自分はいるのだと。この言葉にはすごく感激しました。「これがマネジャーのあるべき姿だ」と思いました。

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