ポケモンGO開発者・野村氏のキャリアの転機 エンジニアからプロダクトマネジャーへ転身

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彼のモノづくり人生を支える原動力とは?(撮影:吉永和久)

『Pokémon GO』を開発した日本人エンジニア・野村達雄の名前を知らない人はいないだろう。

本記事は『エンジニアtype』(運営:キャリアデザインセンター)からの提供記事です。元記事はこちら

圧倒的な技術力と発想力を兼ね備えた野村氏の半生は、自著『ど田舎うまれ、ポケモンGOをつくる』(小学館集英社プロダクション)に詳しいが、彼のモノづくり人生を支える原動力、そして転機とは何だったのか?

現在、Pokémon GOのプロダクトマネジャーとしてさらに活躍の場を広げている野村氏に、これまでのキャリアとこれからの挑戦について聞いた。

ポケモンとの“初めての出会い”と“再会”

僕は中国の文字通り「ど田舎」で生まれたんですが、9歳の時に日本へ移住しました。そして小学校の友達の家でゲームボーイで遊ばせてもらった時、初めてポケモンと出会ったのです。あまりの面白さにどハマりしたのをよく覚えています。

野村 達雄(のむら たつお)/Niantic, Inc. シニアプロダクトマネージャー Pokémon GO ゲームディレクター Niantic, Inc.(ナイアンティック社)の『ポケモン GO』のゲームディレクターおよび、プロダクト部門のシニアマネジャー。ナイアンティック社入社以前は、Googleにて、Google マップに関わるソフトウェアエンジニアとして経験を積んだ。また、Google マップ上の話題のエイプリルフールプロジェクトである、「Google マップ 8 ビット」、 「宝探しモード」、「ポケモンチャレンジ」なども仕掛けた実績を持つ。Google マップの関連事業に4年間従事し、「ポケモンチャレンジ」に取り組んだことをきっかけに、2015年、当時Googleの社内ベンチャーであったNiantic Labsに参画。GoogleからNiantic, Inc.として独立した後は、16年7月に配信された『ポケモン GO』の開発を担当している(撮影:吉永和久)

ゲームをきっかけに、その仕組みが知りたくなってパソコンにも興味を持つようになりました。中学の時に新聞配達でためたお金で初めて自分のパソコンを手に入れ、そこからプログラミングを始めて、あっという間に夢中になりました。

中学から高校にかけて、Perl、VB、C++、Javaなどを独学でどんどん学んでいきました。

面白くて、その裏側の仕組みが知りたくなって、学んではまた試し……好奇心が原動力なので、とにかく楽しかったです。

これが僕のエンジニア人生のスタートでした。

それから信州大学と東京工業大学の大学院で、コンピュータについて学びました。

大学院の1年目に、Google Japanのインターンシップに参加したことを機に、2011年に同社へ入社することになりました。

1年半ほどGoogle マップのエンジニアとして働き、その間にエイプリルフール企画としてドラクエ風の地図を表示するイベントなどを手掛けました。

13年1月からは、米国シリコンバレーのGoogle本社に移り、引き続きGoogle マップ開発を担当しました。

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