「九条ねぎ」の躍進は1冊の雑誌から始まった 年商10億円を超えた「こと京都」の軌跡

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ただ、山田社長の挑戦はここにとどまりません。伝統の京野菜の風味を損なうことなく食卓に届けようと、先進の冷凍技術を有する「岩谷産業」と合弁会社「こと京野菜」を立ち上げました。

九条ねぎの畑(筆者撮影)

岩谷産業の冷凍技術により、「こと京都」や京都府内の農業者が生産する京野菜を冷凍加工し、旬のものを旬の時期に提供できます。今までは少量で市場に出荷されず、高級料亭でしかお目にかかれなかったものも供給可能です。冷凍することで賞味期限も伸びるので、余剰生産による価格下落も避けられます。

「あまり知られておらず絶対量の少ない京野菜があります。すばらしい食材であるにもかかわらず、いわゆる“絶滅危惧種”になりかねません。こうした京都の稀少食材も、冷凍で旬の時期に提供できるようになれば安定的需要が見込まれます」と山田社長。九条ねぎにとどまらず、京都全体の伝統的食文化を支えていこうと考えているのです。

「6次産業化」という言葉の重み

最後に、山田社長が執筆した「6次産業化の意義と役割」(『食品と開発』Vol.52掲載)に、自らの思いを端的に述べている箇所があるので、紹介します。

「6次産業化という言葉は、農業をビジネスと捉えて、考え、行動した生産者たちが悪戦苦闘の末、発展したことによって生まれた言葉である(後略)」

朝から晩まで九条ねぎの栽培に従事し、その価格の安定化、周年供給に熱意を傾けている山田社長の、偽らざる心の叫びだと思いました。

竹原 信夫 日本一明るい経済新聞 編集長

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たけはら のぶお / Nobuo Takehara

有限会社産業情報化新聞社代表取締役(日本一明るい経済新聞編集長)。1971年3月、関西大学社会学部マスコミ学科卒、同年4月にフジサンケイグループの日本工業新聞社に入社。その後、大阪で中小企業担当、浜松支局記者などを経て、大阪で繊維、鉄鋼、化学、財界、金融などを担当。1990年4月大阪経済部次長(デスク)、1997年2月から2000年10月末まで大阪経済部長。2001年1月に独立、産業情報化新聞社代表に。年間約500人の中小企業経営者に取材、月刊紙・日本一明るい経済新聞を発行している。
 

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