「九条ねぎ」の躍進は1冊の雑誌から始まった 年商10億円を超えた「こと京都」の軌跡

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当時父親は1ヘクタールの田畑で、米のほか、キャベツ、大根、水菜、九条ねぎなど多種多様な野菜を栽培していました。年中無休で働いて、父親からもらう給料は毎月10万円ほど。奥さんからも「あんた、これで大丈夫なん?」と言われました。

山田敏之社長(筆者撮影)

年に1回しか収穫できない作物では天候リスクも大きく、売り上げも限定的です。悩んだ末、九条ねぎ1本に絞り込むことを決断しました。父親は今までの少量多品種がいちばん安全、と大反対。それを、周年栽培が可能な九条ねぎで年商1億円を目指す、と説得しました。

灼熱の夏の日も凍てつく冬の日も、畑に出て必死に農作業をし、3年目でようやく1600万円の売り上げになりました、父親は「これでウチも安泰じゃ」と満足してくれましたが、山田社長の夢は1億円の農家になること。そのためには今の6倍売らないと目標に届きません。しかし単純に人手を増やして増産しても、供給過多になり価格が下落するのが農産物のつらいところです。出荷しているだけでは、価格は市場次第。高値と中値(平均の値段)では倍ほど違うのです。

そこで頭に浮かんだのが、九条ねぎのカット加工です。京都には「ねぎ屋」という京都特有の産地仲買業者がいます。農家からねぎを畑丸ごと買い上げ、加工して店に卸す商売です。市内に約100軒のねぎ屋があり、そのうちの5軒は年商1億円以上の売り上げがある、と聞きました。それを農家自身がやれば、もっと効率的でより鮮度のいいものを提供できるのではないか、と思いました。

カット加工するだけで、自分で単価も決められます。早速自宅の納屋を改造。壁をビニールで覆い、中古のカット機と洗浄用洗濯機を購入しました。経費は全部で30万円ほど。すべて手作りでカットねぎの加工を始めました。これも父親からは「農家が加工に手を出すなんて」と猛反対を受けましたが、押し切ります。取り敢えず、九条ねぎの生産、加工体制ができ上がりました。

1冊の本との出合いで販路が拡大

ねぎ屋としては後発なので、販売先に困りました。京都では入り込む余地がありません。しかし、ある日偶然本屋で手に取った一冊で、視界が開けます。『最新!最強!究極のラーメン2002 マジうま500軒 Tokyo版』(ぴあ、2002年発行)です。ちょうどラーメンブームのはしりの時期でした。そうだ、ここに載っている東京のラーメン屋さんにうちのねぎを買ってもらおう、と思い立ちます。早速上京して、掲載店を片っ端から訪問しました。

『最新!最強!究極のラーメン2002マジうま500軒』と訪ねる順路を書いたメモ(写真:こと京都)

九条ねぎは青い葉が特徴で、東京の白ねぎになじんでいる店からはゴミ呼ばわりをされたこともありました。ただ繁盛店ほど勉強熱心で、10軒訪ねて3軒が契約。平日に2泊3日で回り、2年余りで約300軒の成約がありました。

その後、博多とんこつラーメン「一風堂」や群馬県の博多ラーメン八番山「ばりきや」といった有名チェーン店でも採用が決定。大手のラーメン屋さんがチェーン店を増やすたびに売り上げがアップし、7年目で年商1億円を達成できたのです。

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