「食の危機」、作り手と消費者を結ぶ男の思い 政治家から事業家へ転身した背景にあるもの
――そこから政治の世界に飛び込んだのはどうしてでしょうか?
それは単純で、新聞社の面接に落ちていたので、面接で語れる社会経験がないといけないと思って。たまたま、大学のゼミの先輩で代議士をやっている人がいて、その人の車の運転手を始めたら政治の世界の中に入ってしまいました。
結局、政治も伝える仕事も同じだなと思って。現場で見たことを伝えて、色々提言したりする仕事なので。
――そんな政治家時代に、震災が起こった。
そうですね。2011年、2期目でしたが、ちょうど震災があった日に議場にいました。
――震災がきっかけでNPOを立ち上げたと伺いました。
当時37歳でしたが、やっぱり、あれだけのことが故郷に起こったので。血気盛んだったし、陣頭指揮を執りたくなって知事選に出て、落選しました。
それで、いままで口に出していたことを、今度は手を出してやってみようかなと思いました。一次産業にはすごく問題意識をもっていましたから、もっと生産現場に近いところで同じことをやってみようかなと思い、事業をやることにしました。
――政治家ではできなかったことが、できるという意識も持っていたんですか?
そうですね。手段を変えただけで、目的は同じというか。政治にもできることがありますけど、事業にもできることがあるので。
消費者が“食べ物の裏側”を知る
――その立ち上げたNPO「東北開墾」は、具体的に何をされていたんですか?
「東北開墾」は、生産者と消費者をとにかくつなげます。被災地にはボランティアでたくさん都市住民が来てくれました。そしたら、たくさんの人が「生まれて初めて農家と漁師に会った」と言っていたんですよ。テレビでは見たことがあるけども、生身の農家と漁師に会ったことがないと。初めて食べ物の裏側の世界を見たんです。