こうした現状に対し中田社長は、プラチナというブランドのあり方を根底から覆そうとしている。冬の時代、中田社長は自社製品がショーケースの中で泣いているように見えたという。万年筆への思い入れ、会社への愛情は誰よりも深い。そのときの口惜しさが、プラチナの今の原動力となっている。
プレミアムブランドへの挑戦
「高級品にして、大衆を狙う」――品質に妥協せず、戦後復興から高度成長期を駆け上がった大衆に寄り添い、舶来品と同等あるいはそれ以上の品質を廉価にて提供しようとする創業者の理念は、その時代背景のもとでは紛れもなく正しいものだった。だが、現実はどうか。万年筆売り場のショーケースには世界各国の万年筆があふれ、結構な数の客がいる。しかし一方でネットではビックリするほどのディスカウント価格で同じものが売られている現状もある。
「プラチナというブランドの在り方、製造工程、販売手法……すべてを一から見直さなければならない。たとえば、低価格のOEM製品から高級品までのフルラインナップを維持してこれからも総合文具メーカーであり続けるのか、将来的には再検討していく必要がある」。理想とするのは――海外メーカーにも比肩するような、「強烈な個性を持つプレミアムブランド」だ。そのために、「ハイテク化による製造工程の刷新や、インバウンド需要やコト消費をも取り込むような高付加価値型の販売手法も考えていく」という。
中田社長は「メーカーが単にまじめにモノづくりに専念すればよかった時代が終わった」と話す。広く産業界を見渡せば、家電、カメラ、オーディオなどこの20年の間に良品、廉価を得意とした国産メーカーがいくつも市場から淘汰されている。良いものが必ずしも売れるとは限らず、良心的な価格設定も収益を生まないなら企業の存続は不可能だ。生き残りを懸け、プラチナは単なるメーカー、モノづくりという枠にとらわれない未来を見据えているのかもしれない。
どんなに一世を風靡した製品でも、技術革新によって後発の製品に取って代わられた例は数多い。スマホの登場で消えつつあるガラケー、デジカメの登場で大きく市場を縮小させたフィルムカメラが良い例だ。
中田社長の言葉を借りれば、「万年筆はボールペンに負け、ワープロにも負けた……負け続けた」のが万年筆の歴史だ。そのワープロはPCに、PCはスマホに取って代わられつつある。その意味では、実用筆記具としてのボールペンも先は明るくない。筆記は文字入力に置き換わり、音声入力の精度も飛躍的に向上しているからだ。100年後、もしかしたら“書く”ことは必ずしも必須ではない、趣味や教養のひとつになっているかもしれない。
それでも、万年筆に勝機はあると中田社長は考える。「使い捨てることなく、ペン先の調整などで半永久的にメーカーでのメンテナンスが続く万年筆の“手離れ”の悪さは、発想を変えれば貴重な、膨大な顧客データとなりうる」。
AIなど技術の進歩は、やがてユーザー個々人の好みや書きグセに合わせた“究極の1本”のカスタマイズさえ可能にするだろう。
発明から130年以上を経て、万年筆は時代の波にのまれながらも、その存在意義を更新し続けている。
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