やがて戦争が終わると、プラチナは製造設備を温存した国内唯一の万年筆メーカーとしてスタートダッシュを切ることになる。1952年には英国製の自動化機械を導入、さらにインクのボタ落ちを防ぐ自動調整ペン芯を発明する。
1957年には世界初のインクカートリッジ式「オネスト60」で「インク瓶よ さようなら」のキャンペーンを展開、徹底的に販路を開拓し、ペン先製造も自動化。1963年の社員数は1400人に達した。1968年には創業者が逝去したが、1978年には「理想の万年筆」と銘打った「ザ・万年筆#3776」がヒットし、まさに黄金時代を迎えた。
だが、良かったのはここまで。戦後すぐにボールペンが登場、その利便性と量産効果による低価格化で実用筆記具としての万年筆のシェアを奪い、1970年代には完全に逆転した。
現在、人気ナンバーワンのペリカン万年筆でさえ、1960年代半ばにいったん製造を中止、1980年代にはトップブランドのモンブランまでもが買収された。その冬の時代、万年筆は贈答品需要と一部のマニアのための嗜好品として細々と生きていくことになる。
冬の時代から、復活へ
流れが変わったのが2000年代の半ば。企業がリストラの一環で社員への備品供給をやめたことで、文房具ブームが始まった。万年筆もまた、各社が低価格品を投入し、若年層にアピールしたことで市場活性化に成功する。同社は2007年に210円と安価な「プレピー」を発売し、2010年には少し価格帯を上げ1000円程度の「プレジール」を投入。筆者の個人的な感想としては、書き味はとても良い。ボールペンの高い筆圧に慣れた人なら、ペン先の柔らかい高級品よりむしろこちらのほうが使いやすいのではないだろうか。なお、若い女性の間ではこれに色鮮やかな顔料インクを組み合わせるのが人気となっている。
とはいえ、高級万年筆の人気も根強い。いま、都内の百貨店の文房具売り場や万年筆専門店は活気づいている。
この10年で販売本数は倍増し、万年筆メーカーはどこも最悪期を脱した。だが、中田社長には焦燥にも似た強い危機感と改革への意思がある。「低価格品で市場の裾野が広がるのは大いに結構。必要なことだ。だが、その先に何があるのか――」「210円の万年筆を買った人が、次に1万円の万年筆を買う保証はない。そしてそのときが来ても、またプラチナを選んでくれるのか――」。
中田社長は現在の製品に対し、「値付けが弱すぎる。いまの価格が決してフェアバリューではないことを、ユーザーにもわかってもらわねばならない」と考える。
プラチナ、セーラー、パイロットなどの国産品なら、高級万年筆であるかどうかの目安とされるいわゆる金ペンが5000~1万円から買えるのに対し、海外メーカー製の場合、2~3倍の値付けとなることも珍しくはない。
しかし国産3社はいずれもメイドインジャパンにこだわり、ボディやキャップ、ペン先などに非常に丁寧に処理された金メッキと装飾を備える。ペン先やペン芯の精緻なつくりはトメ、ハネ、ハライを持つ日本語が書きやすく、インク漏れやかすれもない、絶対的な信頼性を持っている。安いからといって品質で海外製に劣っているわけではない。価格差はブランド力の差によると言えるだろう。
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