「よそもの」「わかもの」「ばかもの」――。町の復興・再生には、この3つの要素が欠かせない。これは随分昔から「町おこし」とか「歴史が変わるとき」に出てくるフレーズらしい。
今の石巻もまさにそのとおりで、面白いことを考える人がたくさん活躍している。震災後に新しい石巻を作るために立ち上がったISHINOMAKI2.0を中心に、「世界で一番面白い街を作ろう。」と盛り上がっている。
由緒正しい呉服屋の奥で、昭和のレトロなファッション雑誌や百貨店のチラシなどを閲覧できる「コミュニティカフェ・かめ七」。復興デパートメント内で「大漁旗ブレスレット」を販売している鉄太郎さんのおしゃれなアトリエ兼工房もあるし、地元のおいしい素材をおいしく調理してくれる和食店「四季彩食いまむら」、フューチャーセンター「こはく」や地域のものづくりのための場「石巻工房」などなどなど、石巻にはユニークな店やスポットがぽつぽつと誕生しつつある。
「昔は石巻が好きじゃなかったけれど、なんだか面白い町になっているから帰ろうかな」
上京していた地元の子が変わりつつある町の様子を見て、うれしそうにつぶやく。それを聞いて、これぞ町おこし、町の復興の理想形だなとしみじみ感じた。
いわゆる“地方”、しかも被災地である場所に、なぜユニークな若者がたくさん定住しているのか?
震災後、石巻には延べ約30万人のボランティアがやってきて、町を支援。若者たちの活躍が復興を後押しした代表的な都市と言われていた。
しかし、震災から1年が過ぎた頃から、泥かきも終わり、避難所暮らしの人が減るのと同時に、ボランティアの数も減少していった。
それに影響されるかのように、地元の人たちのモチベーションも徐々に下がっていった。新しいことを生み出して持続させるには、やはり、相当のパワーが必要だ。
震災直後、新たな挑戦をしようと立ち上がっていた地元の人も、それなりに町が復旧してくると、何かを変えるというより、もともとの生活に戻す、そしてそれを回していくことに追われるようになる。
そんな中、新しいことを生み出そうと元気に働く若者たちがいた。日本各地から来て、その後も現地に残る道を選んだ元ボランティアたちだ。
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