彼らは、一緒に活動を続けてきた仲間や地元の人たちと深いつながりを持つようになり、被災地に自分の活躍の場を見つけた。
田舎暮らしの魅力に気づいた若者が増えていることも要因だろう。最近は、大企業や学歴というステイタス、車やぜいたく品に興味のない若者が珍しくない。それより面白いプロジェクト、面白い生活があったら参加したいという人が増えているように思う。
被災した店舗の再生を手伝っているうちにアルバイトとして定住した人、こちらの会社に普通に就職した人、起業した人……。長く生活するうちに、地元の人と結婚した人もいる。
「若者にとって、被災地はチャレンジする環境が整っているのかもね」と言った誰かの言葉を思い出す。
被災地がほかの地方と大きく異なるのは、地方ならではのしがらみや人間関係といった要素が、津波と地震で一度壊れてしまったこと。そして先ほど書いたように、ボランティアを通して“よそもの”と地元の人たちに深いつながりがたくさんできたことだ。
東北を何とかしたいという熱い志が、新しい挑戦を生む。そんな熱い志を持つ“よそもの”に共感し、別の“よそもの”や地元の人が集まる。そしてよいチームができる。
以前、書かせていただいた記事のように、僕はこの「よいチーム」がここでも重要だと思っている。よそものもわかものもばかものも、ただウロウロしてればいいってもんじゃなくて、よいチーム(組織)ができて、はじめてよいカタチ(アウトプット)が生まれる。
こうした若者らの活躍は、Iターン、Uターンの人の割合が右肩下がりになりつつある全国の町にも、何かしらヒントになるんじゃないかと思う。
しがらみや利害関係がない「よそもの」の力
「来週末、○○ちゃんが東京から遊びに来るって」
「□□も、次の休みに顔を出すと言ってたよ」
50~60代の地元の漁師さんがケータイやスマホでフェイスブックの画面を見ながら、うれしそうに自慢し合う。彼らがやり取りをしている相手は、震災後、ボランティアに来ていた若者たちで、フェイスブックの使い方を教えた彼や彼女らだ。
自分の地元やほかの地域に戻った子たちから、時々、そんなふうに連絡をもらうだけで、まるで孫や子供から連絡があったように喜んでいる。ずっとつながっていたいから、なじみのないケータイやスマホの操作も頑張って使いこなす。その姿ははたから見ていて、ほほ笑ましい。
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