私たちは日々「錯覚」でモノを買い続けている ムダ出費を誘う価格の錯覚「5つの典型」

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その4 割安買い的錯覚

価格の判断をする際に、人は先に基準を求める傾向があると先に書いたが、厄介なのは「割安」商品。大容量であったり、数が多かったり、あるいはセットになることで割安ですよとアピールされている。たしかに、1個当たり、100グラムあたりは割安に見え、その数字に私たちは飛びつきがちだが、それをまとめた形で一度に払う価格自体は決して安いものではない。

グラム単価が日頃より安い日があったとして、一度の買い物に、1パック2000円もの肉を買っていいのか? この量をムダにすることなく食べきれるのか? そっちのジャッジは案外スルーされてしまう。もし、使い切れずに捨てることにでもなれば、元は取れないのだが。

政府広報によると、日本国内における年間の食品廃棄量のうち、売れ残りや期限を超えた食品、食べ残しなど、本来食べられたはずの「食品ロス」は約632万トンで、うち家庭から捨てられているのが全体の約半数にあたる年間約302万トンだそうだ。さらには、家庭から出される生ごみの中には、手つかずの食品が2割もあるという。少なくとも、食品に関しての割安買いは、慎重にしたほうがいいのではないかと思う。

松竹梅のワナ

その5 だんご3兄弟的錯覚

「松竹梅のワナ」をご存じの方も多いだろう。定食屋のメニューに「梅」950円、「竹」1200円の2種類が並んでいたときには、ためらいなく梅を選んでいた人が、さらに「松」1800円が加わった途端、つい梅より高い「竹」を選んでしまう心理のことだ。

なぜか、われわれは「真ん中」がいいと思いがちだ。それにも、選択に失敗したくない心理が潜んでいて、高すぎるもの(=これだけの金額を払う価値があるのか?)や、安すぎるもの(=いちばん安いということは相当しょぼいのでは?)への不安があり、消去法的に最も無難な真ん中を選んでしまうのだという。

さらに、われわれは価格が高いほうがより高品質であろうという印象を抱いている。だから、最安のものよりは、最高なものにより近い価格にある、真ん中を選ぶのだという説もある。ちなみに、かつて大流行した「だんご3兄弟」の歌詞を改めてみると、串にささった真ん中の次男は「自分がいちばん」だと思っているらしい。

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