昨年、CIA長官当時のマイク・ポンペオ氏(現・国務長官)は、北朝鮮に対して斬首作戦を一人で明言していたのに、いまや金委員長と非常にいい人間関係を築くに至った。これに対して、ジョン・ボルトン国家安全保障担当・大統領補佐官にとっては、いまでも反りが合わない存在だ。その最大の理由は「リビア方式」というコンセプトにある。
ここで、忘れてならないのは、リビアのカダフィ大佐が殺されたというニュースに接して、当時、ボルトン氏たちが示したホンネの感想だ。すなわち、カダフィ大佐が長年やってきたことを考えれば、その最後の結末は当然だというものだった。
つまり、カダフィ大佐は、米国の政治社会のみならず宗教社会で言われている「リデンプション(贖罪)」のプロセスを経ていなかった。そのことがカダフィ大佐の死と直結しているとされる。そういう事実について、米国通とはいえ、米国に住んだ経験のない金正恩氏は、おそらく気づいていないのではないか。
米国は「パワー国家」だが、その社会の支柱は宗教であり、「リデンプション」には、高い宗教性がある。その宗教色を薄めて、一般化して言うとすれば、「これまでの行いを悔い改める結果としてのセカンドチャンス」ということになる。
すなわち、その「リデンプション」とは、たとえば、金正恩氏が横田めぐみさんを含む拉致被害者全員の完全解放を実行したとすれば、そのときに初めて「リデンプション」は成立する、ということになる。
米国社会に実在する「生きた常識」
米国の宗教観では、「悪魔」というコンセプトは、最悪に忌み嫌われる。それについて、軍事問題の天才ジェームズ・マティス国防長官が、就任したばかりのボルトン大統領補佐官と交わした会話を、米国通の金正恩氏は知っているだろうか。
マティス長官は、「ボルトンさん、あなたと会うのを楽しみにしていました。あなたは人間に姿を変えた悪魔だと言われているのですね」とユーモアを交えて言い、ボルトン氏を破顔大笑させたのだ。
マティス長官は熟知しているが、米国に住んだことのない金正恩氏にはわからない、米国という宗教社会の中に実在する「生きた常識」がある。それは、「善い行いに集中することを忘れて、悪魔から逃げることだけに心を奪われると、悪魔の手中に落ちてしまう」というものだ。
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