「世界の争い」が一向になくならない根本理由 地政学の視点なくして、本質は読み解けない
昨年11月にパリで130人もの死者を出す大規模なテロが起きたことは記憶に新しい。犯行声明を出した「イスラム国」の首謀者にはヨーロッパ国籍をもつイスラム国シンパも含まれているといい、戦争の歴史が作り出してしまったヨーロッパ移民社会の複雑さ、暗部をも垣間見るようである。
根深い憎しみの連鎖は、まだまだ終わりそうもない。卑劣きわまりないテロの犠牲者に対しては、哀悼の念を強くするばかりである。こうした現代の難問を理解するには、「地政学」の視点が欠かせない。ひと言でいえば、「世界の戦争の歴史を知ること」である。
地球上のどんな位置にあり、どんな地理的危機にさらされ、あるいは地理的好機に恵まれながら発展してきたか。地理的条件によって、一国の危機意識も戦略思考も何から何まで変わる。
「川を上れ、海を渡れ」――地政学とは何か?
筆者が大蔵省(現在の財務省)に配属されたとき、真っ先に教わったのは「川を上れ、海を渡れ」という考え方だった。
「川を上れ」とは、歴史を遡って考えてみよ、ということだ。そして「海を渡れ」とは、海外の事例を参照してみよ、ということだ。地政学とは、その川を上ること、海を渡ることを、戦争というものに当てはめて実践するものである、ともいえるだろう。
歴史は、偶然の産物ではない。奇しくも起こった出来事が影響したことはあるだろうが、歴史の背景には例外なく、国家の思惑、目論見、もっといえば野心が存在している。世界史とは、そうした国家の思惑、目論見、野心が複雑に絡み合い、争い合いながら作られてきたのだ。
こう言うと、歴史好きを自認する人などは、「戦争のなかの壮大なドラマ」をイメージするかもしれないが、そうした情緒は、むしろ邪魔になる。細かい歴史の知識も、大して必要ではない。必要なのは、「年号と出来事で事足りる」というくらい、冷徹に事実関係だけを把握する姿勢、そして「だいたいの流れを把握する」という大ざっぱな視点だ。
そうした情緒を交えず、世界で起こってきた戦争を大局的な視点で見直してみると、なぜ世界が今の形になったのかが、すんなり理解できる。拙著『世界のニュースがわかる! 図解地政学入門』(あさ出版)は、そこに焦点を当てた。
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