葬式不要論が的外れといえるこれだけの根拠 おカネや時間をかけるのにも事情がある
世界中のあらゆる人種・民族は、家族や大切な人が亡くなったときに、お葬式を行います。
それは亡くなった人を弔いたいという本能が人間には備わっているからかもしれません。前述した『葬儀概論』の中にも、今から数万年以上前に現在のイラク北部に当たる土地に住んでいたネアンデルタール人が、亡くなった人に花を供えていたという話が書かれています。
では、仮に亡くなった人を弔いたいという気持ちが元々人類にあったとして、なぜお葬式という手間のかかる方法を取る必要があったのでしょうか。 それは「故人への愛情や悲しみを可視化することで、故人との関係に一旦区切りをつけるため」だと私は考えます。
故人への愛情や失った悲しみ、安らかに旅立って欲しいという願いは、目に見えるものではありません。花を手向ける、頭を下げる、手を合わせるといった儀式を通じて、われわれは故人に対する思いを表現しているわけです。また、故人をしのぶほかの人たちと悲しみや思いを共有することで、不安の解消や気持ちの整理にもつながります。
一方、中にはお葬式という方法を取らなくても個々人のやり方で気持ちを整理する方もいらっしゃいます。今まで私が出会った人の中には、儀式的なことを一切行わず、亡くなって火葬するまでの間に故人の死に顔を描いた画家や、遺骨の一部を持って旅に出た人もいました。
しかし大切な家族を亡くしたことがある方ならご存じかと思いますが、ほとんどの遺族は「家族の死」に直面したときどうしていいのかわからないものです。とはいえ、故人の遺体をほったらかしにするわけにはいきません。さらに家族以外の故人の関係者にも、死を伝える必要があります。そんなときに、お葬式という型が存在することによって遺族の負担は大きく軽減されるわけです。
満足できる「直葬」のやり方
中には「いくらお葬式にそのような役割があったとしても、果たして何十万、何百万円も大金をかける価値があるのか疑わしい。だからお葬式はしなくてもいいのではないか」と考える人もいるでしょう。葬儀業界は過去にぼったくりと言われてもおかしくないような商売を行っていた歴史的経緯があります。そのため消費者がお葬式に大金を支払う価値があるかどうかを疑うのはもっともです。また、経済的な理由でお葬式をしたくても行えないという方も増えています。
そんな方々に筆者は、一般的なお葬式よりも安価な「直葬(ちょくそう)」を勧めています。直葬とは、宗教的儀式を省略して火葬のみを行う方法で、費用は火葬料込みで30万円程度。別名「火葬式」とも呼ばれます。
直葬だと、「故人との別れにおカネを出し惜しんだ」、「宗教的儀式を経ていないせいか、故人の死にちゃんと向き合えなかった」などの理由から、後悔が残るのではないかと不安に思う方もいるでしょう。ですが、直葬でもちゃんとお別れすることができます。
お葬式の満足度は、必ずしもかけたおカネに比例するわけではありません。要は故人の関係者たちが「ちゃんと見送ってあげることができた」と思えることが大切です。立派な式場や祭壇がなくても、故人をちゃんと見送ることができたという満足感を得るには、たとえば2つの方法があります。私が直葬を担当する際は、必ず「納棺時に残された人たちが故人の体にやさしく触れるための時間」や「火葬場に行くまでの待ち時間に故人の思い出を語ったりするための時間」を用意しています。これだけで直葬の満足度は高まります。
ただし直葬の場合、式場や祭壇などを省いている分、担当する葬儀会社のおもてなしや質が一層目立ちます。直葬だからといって手を抜かず、遺族のために汗をかくことのできる葬儀会社を選べるかどうかがポイントです。
そのためには気になった葬儀会社へ事前相談に行くといいでしょう。こちらが直葬を希望した際に、その内容を丁寧に説明してくれる誠実な態度であれば、直葬でも満足度の高いものになるはずです。
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