納得できる死を「創る」にはどうすればいいか いま知りたい終活――作家 柳田 邦男インタビュー
終末期に納得できる医療をうけるためには、日頃から、地域の医療状況について把握しておく必要があります。自分の街の病院やホスピスの事情、在宅で緩和ケアを施してくれる医師がいるのかといったことです。事前に準備をしておけば、たとえばがんが進行してきたときにどうするかといった選択がスムーズにできるわけです。
納得できる死を「創る」
ただし、納得できる死を「創る」には、単に痛みや苦しみを取り除くという医学的な対応だけでは不十分です。
最も重要なのは、死が避けられなくなったとき、あるいはもう先が短いと感じるようになってからどう生きるかという、二番目に挙げたフェーズです。心おきなく最期を迎えるために残された時間で何をしたいのか。人生を一つの長編小説に例えると「最終章をどう書くか」とも言い換えられます。これに関しては誰かが答えをくれるわけではない。自分で考えるしかないのです。
どんな人であれ、山あり谷ありの物語を生きている。振り返るといくつものエピソードがあって、それぞれが人生の一章、一章を構成しています。死の直前というのはその最終章です。物語をどう完成させるか。未完で終わらせないで、その人らしくどう生きるか。自分の死は自分で創らなければならないのです。
医療者も、患者が本当に納得感のある死を迎えるにはどうすればいいか、という意識を持って患者に接しなくてはなりません。患者のニーズをくみ取り、医療者はどうサポートできるかを考えることが医師や看護師の真の役割なのです。家族も同じです。医療者や家族が“伴走者”となって心身両面のサポートをしてくれると、患者の最期は大きく変わるのです。
進行がんで入院していたある釣り具商の話があります。彼は残された時間が長くないということを自覚し、医者に相談をした。「妻になんとか店を継がせたい。引き継ぎさえできれば、いつ死んでもいいんだ」と。
医者が「何日あればできるのか」と問うと、釣り具商は「徹夜をすれば三日でできる」と言ったそうです。そこで医者は在宅ホスピスの態勢を整え、自宅に帰ってもらった。彼は三日三晩をかけて奥さんにすべてを引き継ぎ、取引先に挨拶を済ませ、一週間ほどで亡くなりました。
別な例で、町の鉄工所の親父さんの話も象徴的です。大学病院で肺がんの治療をしていたのですが、がんが骨転移し、首もまわらないくらい苦しんでいた。緩和ケアが十分ではなかったため、家族が見舞っても痛みのせいでつねに感情が険しくなっていて、周囲に当たり散らすような状態でした。