納得できる死を「創る」にはどうすればいいか

いま知りたい終活――作家 柳田 邦男インタビュー

本人の希望は「とにかく家で死にたい、家族に囲まれて死にたい」というものでした。退院をして、自宅で微量のモルヒネを服用してもらうと痛みがころっと取れた。奥さんをはじめ、家族が一体となっておじいちゃんを支えました。お孫さんに「おじいちゃん、頑張れ頑張れ」と背中をさすってもらって、本人は「地獄から天国へ帰ってきた」と喜んだそうです。「俺は幸せだ、俺は幸せだ」と毎日言い続けて、それが最期の言葉になりました。

釣り具商の旅立ちにも、鉄工所の親父さんの旅立ちにも、本人の“納得感”があります。こうした亡くなり方であれば、遺された家族のグリーフワーク(悲嘆の癒やし)も非常にスムーズに進むんですね。

僕自身も”“最終章”を考えています。そんな大きな望みはないんです。なるべく家にいて、平凡な日常生活を送りたい。台所で朝食を用意したり、夕食に魚の煮付けを作ったりといったことが好きだから、そうしたことをマイペースにやっていきたいんですね。

残り少なくなったら、趣味で撮ってきた雲の写真を整理して、写真集と絵本を作りたい。少年時代には測候技師になりたかったほど、人生を通じて雲に魅せられてきましたから。

「最後まで、本箱の近くにいたい」

あとは小説にしろ詩歌のたぐいにしろ、買ったはいいけれど、読み残しになっている本が何百冊とあります。そういったものを読むためにも、やはり最後まで本箱の近くにいたいなあと思いますね。

闘病記で死をイメージし、戦略を立てる

現代は死をイメージしにくい時代です。戦争があった時代は、近しい人が若くして戦死したり、医療が未発達の段階だったため身内の誰かが結核で亡くなったりといった死の体験が身近にあった。今は病気であっても病院で亡くなる方が圧倒的に多く、家での看取りが少ない。死は遠い存在になってしまいました。

僕の場合は、少年時代に兄や父を自宅で亡くしているので、体にしみ付いた死と看取りの経験というのがあるんですね。終戦直後の昭和21年(1946年)のことです。僕は6人兄弟の末っ子で、小学四年生でした。2月の静かな朝、上から二番目の兄が結核で旅立ちました。19歳でした。母が、兄の唇がさーっと青くなっていくのに気づいて、そして看取りました。

 同じ年の夏、やはり結核で父が亡くなりました。父は意識が薄れる前に家族を呼び、一人ひとりの手を握って言葉をかけてくれた。僕には「健康第一だからな、体を大事にしろよ」と言ってくれた。家族を集めたのが朝の9時で、しばらくたってお昼どきに眠るように逝きました。かかりつけの医者が来て「ご臨終です」と言い、僕は母に教えられて死に水をとりました。

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