新大久保界隈のネパール料理店に関しては、マッラ氏の統計では2008年時点ではゼロだったのが、今や32店舗にまで増加。特にここ3年では、20店舗も増えている。ダルバートが食べられるようなディープなネパール料理店は、ひとつの街にそう何店もあるものではないので、新大久保のこの数字は突出している。
「こうした店のいくつかが、おカネがなくてお腹をすかせたネパール人留学生向けに、500円で故郷の味をお腹いっぱい味わえるメニューを提供し始めたんです。それが口コミで広がり、多くのネパール人たちが店にやってくるようになりました。正直500円では利益は出ませんが、そうした学生が夜にも仲間を連れてきたり、後年働くようになってからも利用し続けてくれることを見込んで提供しているのです」(マッラ氏)
情報を求めて新大久保に集まってきた
こうして誕生した「ワンコイン・ダルバート」。多い店ではこれが1日に150食も注文が入るという。取材でお邪魔したアーガンでも、ネパール人とおぼしきお客さんたちが、そこかしこで500円のダルバートを食べていた。これはもう、新大久保の新しいソウルフードといっても過言ではないだろう。
それにしても、疑問はまだ残る。なぜこれほど多くの在日ネパール人が、新大久保の地に集まったのか。そのカギは意外にも情報にあった。その中心的役割を果たしているのが、マッラ氏が発行するネパリ・サマチャーである。
さかのぼること10年前。2008年に、あるネパール人が新大久保にエスニック食材店を出店した。当時、ネパール人による食材店が都心の駅近くにあるのは珍しく、それを当て込んでマッラ氏も自身の住居とネパリ・サマチャーの事務所を新大久保に移す。マッラ氏の記憶では当時、新大久保に住むネパール人は30人にも満たなかったという。
そして翌年、同氏はネパール人が集まれる場所を作ろうと、仲間と共同でネパール料理店「モモ」をオープン。まだネパール専門店は珍しく、この店が後の多くのネパール料理店の雛形となった。
ネパール人が食材を買える店、同胞が集うネパール料理店、そしてネパール人情報が集まる新聞の拠点がそろった新大久保の地には、自然とネパール人がやってくるようになる。中でも新聞の役割が非常に大きかったという。
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